君と歩いた道

シングルマザーもものブログです。公立の中高一貫校に通う娘がいます。

文理選択と歴史科目の位置づけ

 娘は高校生になって、大学受験が一気に目前に迫ってきたような空気感の中にいます。というのは、高2からの文理選択に向けて、高1にはすでに複数回にわたって進路調査を重ねていくというプロセスを、今の今たどっているためだと思われます。

 中高一貫校と高校受験から進学する高校で一概に比較はできませんが、私自身は受験して公立高校に進学し、高1の頃は受験が終わった余韻の中で、大学受験はまだ遠く現実味がなかったです。高2の夏休みで部活は引退、文理選択は高3からでしたので、高2まではまだ自分の進路を自由に考える余地がありました。

 それでも、芸術科目は1年次から音楽、美術、書道のいずれか1科目を選ばなければならなかったのは、いかにも合格実績を視野に入れて勉強させる進学校という感じで疑問でした。これは娘の学校も同様ですが。

 

 一方で娘の学校では、部活の引退は高3の公式試合を終えたタイミングになります。部活をギリギリまでやりながら、同時に高2から文理に分かれ、効率的に勉強する。高3まで勉強と部活の両立で集中力と精神力を磨き、部活を引退して受験勉強に専念する期間は短期集中で、学力を最大限に伸ばす。その理論を毎年検証しているようです。

 ところで、高2から文系で数Ⅲが必須ではないのは不思議ではないですが(自分が文系だからか)、理系で世界史と日本史いずれも必須ではなくなるのは驚きました。理系に進む生徒の教養は、本人の資質頼みということでしょうか。

 ちなみに、ある海外の大学を日本の高校生が受験する場合、共通テスト(センター試験)の国語、英語、数学、理科の成績が求められるのですが、ここに社会科がないのも驚きで、社会科というのは国によって教育が変わり万国共通ではないからなのか、あるいは社会科はテストで評価する科目ではないということなのか、など興味深くいろいろ考えさせられます。

 それでも、だからこそ大事なんだろうとも思われ、なぜなら自分自身のアイデンティティがどう培われたかを将来にわたって公平に知るためには、高校の社会科の勉強は基礎であり、外せないと思うのです。

 

 中等教育課程では、言うまでもないのかもしれませんが、受験に使うか使わないかで科目を選択する範囲を広げ過ぎない方がいいのではないかと思います。人間的な幅を広げることが教育なのだし、大学生になってから、社会人になってからの長い人生を展望したときに、学生時代は目先の作業や処理に成り下がらない勉強をしてほしい。

 大学に行ってから専門科目を存分に学ぶためにも、高校までは将来使うか使わないかわからない勉強に四苦八苦することに意味があるのではないかと思うのです。