君と歩いた道

シングルマザーもものブログです。公立の中高一貫校に通う娘がいます。

大学生活1年目が終わる、『PERFECT DAYS』を観て

 秋学期の課題提出とテストを終わらせ、2月から塾バイトを再開した娘。大学受験から1年。勉強とバイトにせっせと打ち込んできました。高校までとは違いもっぱら好きなことを学んでいるためか、熱心さが違います。

 今年度の講義の最終日に、先生方にご挨拶に行き写真を一緒に撮っていただいたりしていました。その画像で先生の名前と顔を確かめながら、エピソードを聞かせてもらいました。娘も言っていますが、先生方がいい先生ばかりで、学生たちに聞かせてくださるお話がどれも興味深く、娘にとっては視野が広がります。尊敬や信頼をもって接することができる先生方に出会えて感謝しかないです。

 

 個別塾の講師バイトでは小中高を受け持っているのですが、ひょんなことから算数や数学も教えることになり、高校生のとき苦手意識で行き詰まっていた数学が、教えることを通して面白く感じられることがあるようです。

 小学生に「こないだ先生○○にいませんでした?」と言われることが多く苦笑いしています。小学生男子は思ったことを口にする。小学生女子は最初は大人しく、慣れてくると話すようになるそうです。受け持ちの子の志望校合格の報も少しずつ聞かれてきています。

 

 秋学期が一区切りついて、一緒に映画を見に行きました。『PERFECT DAYS』(Wim Wenders監督)東京の風景が美しかったです。街並みを上空から撮影するには、ヘリコプターに乗ってとかなんでしょうか。あの風景を直に見るには、そうでもしないと見られなさそう。一枚の絵のようでした。台詞が少なく、説明しない演出。今度は今度ね。役所広司演じる平山の流されない日常とか、人や物事とのちょうど良い距離感とか、修行のように生きる日々の中に楽しさが見え隠れします。

 娘にはわかりにくかったかもですが、わからないものを誰かに教えてもらうのではなく根気よく見つめて考えてほしいと望んでいたりします。

 娘と観に行ったあと、別の映画館に一人でもう一度観に行きました。予備知識なく最初に観たときと、2度目に観たときでは、時間の流れ方が違う。平山が運転中に聴く音楽は、過去の自分が生きていた空気感を思い出させてくれます。はいりさんが声だけ出演していたことを知るのは、2度目の映画館で買ったプログラムを見てでした。プログラムは1度目の映画館では売り切れでしたが、2度目の映画館では買えたのです。声だけで、はいりさんの声だとわからなかったのが衝撃です。それだけの脚本であり演出ということなのでしょうか。

とある大学1年生の生活

 季節は秋。ずいぶんご無沙汰しました。書き始めるも筆が進まない。そんなことを何度か繰り返していました。娘が高校を卒業して大学生になり、見守りつつも口を出さないように戒めていると、記事を書けなくなってくるというかですね。

 泳がせて見守る。基本的にそうしたいと思いつつ、なかなかそういうのが上手な親になれていませんが、近況報告というか、単純にうれしかったことや楽しかったことを書いてみようと思いました。

 

 春学期は勉強とバイトを頑張りました。期末テストと課題は7月中に終わらせ、夏休みはバイトに集中。秋学期が始まる直前に届いた成績表は、本人も満足の結果でした。秋学期も勉強とバイトを頑張っています。今まで漠然とイメージしていた留学の話を具体的に考えるようになりました。

 先日、娘の大学の父母会に行ってきました。今は大学に父母会があるというのも聞いたことはありましたが、実際に行ってみると新鮮でした。娘の大学の良さは、教員の数が多いことです。一つの専攻に、何十人という専門の先生がいらっしゃって、その専門が細分化されていて、学生にとっては恵まれた環境だと思います。先生方も熱心で、愛情豊かに接してくださっているのが伝わってきます。

 受験で娘の第1志望だった国立大よりも、教員の数では、圧倒的に豊かな環境に置かれているのではないかと思われます。

 父母会で知り合った1学年先輩のお母様は、大学の近くにお住まいで、地元では評価が高い大学なのだとおっしゃっていました。きょうだいを早稲田に通わせていらっしゃる保護者の方から、下手したら早稲田よりもこっちの方が良い大学かもという話も出てくるそうで、ご本人や保護者の満足度の高さが伝わってきます。

 娘の様子を見ていても、この学校を選んで良かったと、じわじわ思われてきてなりません。

 

 そろそろ学祭の季節ですね。受験生のときは来られなかったので、今回初めての学祭です。娘と一緒に行くことになっています。非常に楽しみです。

 娘は自称真面目なので、その真面目な子がマイペースで充実している様子を見られるのは、本当にうれしいし楽しい。そんな今日この頃です。

公立中高一貫校を卒業して

 娘が大学生になりもうすぐ3か月。仲良くなった友達が早くも学校に来なくなったり、授業中に私語や笑い声でうるさい人が増えてきたりと不満や愚痴はそれなりにありますが、娘はめげずに毎日せっせと通っています。容赦ない量の課題にも意欲的に取り組んでいます。やりたいことを勉強することの楽しさを満喫しているように見えます。

 少し落ち着いたので、標題についてざっくりですが振り返りたいと思います。

 

◯ 学力を伸ばすために

 2017年春。合格の喜びとともに、夢と希望に胸をふくらませて入学した公立中高一貫校。娘は、緊張して固くなっている自分の殻を破っていくことで新生活に馴染もうとしていました。あれから6年です。

 入学した年は、新しい環境で、重いリュックを背負って初めての電車通学を始め、勉強に部活に頑張って、体力の消耗は想像以上だったのだろうと思います。帰ってきたらそのまま寝てしまうことが多かったです。食事や入浴ができない日が続きました。

 特に数学の難しさと進度の速さにとても苦労し、個別塾に通ったり、それを自学に活かせるか試してみたりもしつつ、生活には徐々に慣れていきました。しかし慣れてきたというのは、やろうとしてもできないものはできず、できる範囲でやるということに慣れてきたということです。何頁までやっておいてと丸投げされても、進めないから結果としてやれていない。

 学校の先生に相談しても、対応してくれるなどの提案はなく、埒があきませんでした。質問するのはできるようになりたいからですが、先生の方が妥協しているというか、娘は先生に質問してもわかるようにならないと知っていて、質問に対してされる説明がわからないと先生に申し訳なく、自信をなくしてますます質問に行くことができなくなっていくという悪循環。

 好きだった英語の学習への意欲も、徐々に減退していきました。効率を優先するようになり、だんだんリスニングをやらなくなりました。言われたことをやるのに精一杯で、興味や好奇心が学習のペースを押し上げるという好循環にはなりませんでした。英検受験はいつしか点取りゲームのようになっていたと思います。それで中学のうちにかろうじて2級まで取りましたが、高校で準1級を何度か受験してもう一歩のところで取れないままになっています。

 小学校のときの学習意欲を、中学につなげることができませんでした。それだけ考えたら、娘の場合は地元中に行って高校受験をした方が、学力を伸ばせたかもしれないと思います。無駄に苦手意識を植え付ける結果にならずに済んだかもしれません。

 とはいえ、娘自身の苦手意識とは裏腹に、そこそこの学力はついていたのだろうと思われます。大学受験では、第1志望の国立には惨敗でしたが、私大の一般入試の問題は、実感としては大学受験のレベルはこんなものなのかという意外な後味でした。一方で共通テストの得点開示は、娘自身の悪くない手応えとそれほど違わない結果だったようですが、それで落ちたということは、もうぜんぜん手が届いていなかったということだと納得していました。

 

◯ 母校になった公立中高一貫校

 娘が過ごした小学校と中高一貫校は、授業がうるさくて集中できないなどのトラブルがほぼなく、それで苦労したことがありませんでした。それはありがたいことです。特に中高一貫校は、平和というか、穏やかというか、娘にとってはアオハル全開の季節を過ごした場所でした。

 大学に入学してみると、自分は頑張りたくて大学に来ているけれど、そういう学生は少数派なのか、仲間をなかなか見つけられないようです。とりわけ娘は不真面目な学生に対する免疫がないので、余計に真正面から受け止めて頭に来るようです。

 そんな中で高校が懐かしくなったりすることも。娘にとって、公立中高一貫校は母校になったんだなと実感するエピソードです。

 現在はサークルで出会った同じ授業を取っている1学年先輩の女の子と意気投合し、悩みも話せているようで良かったです。焦らず一歩一歩、自分が咲ける場所を見つけていってほしいです。

 

◯ 下の子がいたら

 友人に恵まれ、無事に卒業を果たした公立中高一貫校。最後まで走り抜きました。終わり良ければすべて良し。All's well that ends well それに尽きる感慨です。娘にとって大切な母校になったことは大きな喜びです。

 けれど、もし我が家に下の子がいたら、受検や入学にもっと慎重になりそうです。娘の同級生のご家庭では、2人きょうだい、3人きょうだいでみんな同じ中高一貫校とか、下のお子さんも受検させたけれど不合格だったというご家庭も少なくないですが、私は受検させるかどうかの前に、受検を匂わせるような誘導もしたくないと思うようになりました。

 親からしたら、できる限り多様な選択肢を子どもに与えたいと思うのですが、それが実は親の敷いたレールになっていないかと自問自答が続きました。そして、子どもにとって合うかどうかは入ってみなければわからない、ということの重みを感じています。受検・合格・入学という精神的に大きな負荷をかける選択を小学生にさせるには、合わなかった場合のリスクが大きいと思いました。リスクとは、子どもの伸び代を潰してしまうということです。まあ人生はそこで終わるわけではないのですが。

 考え方や受け止め方はそれぞれですが、小学校のときに相談した先生方の消極的な反応を思い出すと(ある先生はお子さんを娘の学校に入学させた経験をお持ちでした)、今はなるほどと思うのです。

卒業おめでとう、そして入学おめでとう

 4月も半ばを過ぎました。桜が散った余韻とサツキの咲き始めを確認する朝です。娘の大学生活が始まって2週間が経ちました。3月末日まで待った第1志望の国立から追加合格の連絡が来ることはなく、第2志望の私大に入学しました。合格をいただいた大学の中で、この大学を選んだ決め手は何だったのか、改めて調べたり考えたりして、娘が入学する大学はこの大学でなくてはならなかったと確信することができました。充実した学生生活を送れそうです。

 遡りますが、娘は3月上旬に公立中高一貫校を卒業しました。卒業式が終わっても卒業の実感はなく、受験に追われて日々が過ぎていきました。3月の最後の日、用事があって学校に電話したら担任団の先生とお話しできて、中高一貫校での生活が娘の人生を通り過ぎていったことを認識しました。6年間がほんの一瞬のように、吹く風のように通り過ぎた。終わってしまえば夢を見ていたような不思議な感じです。学校とはそういう場所でした。終わり良ければすべて良し。そう思いました。娘、卒業おめでとう。

 娘はもう大学生です。期待がふくらむ春ですね。履修登録をして、授業が始まり、課題に意欲的に取り組んでいます。4年間はあっという間でしょう。学生時代にしかできないことを大いに楽しんでもらいたいです。娘、入学おめでとう。

受験が終わる

 娘の国立大受験が終わりました。前期日程選抜の結果は、前の記事で書いた娘の感触と違わず不合格でした。オンラインで「厳正なる選抜の結果、誠に残念ではございますが、不合格・・」と文字が並ぶ画面を見ました。後期日程選抜は前期と比べたら娘的に手応えがあったようで、もしかしたら行けるのでは・・と一縷の望みを抱きましたが、こちらも不合格でした。合否結果の画面の表示は前期とほぼ同じでした。

 不合格の三文字が目に飛び込んでくるときの「あー、ダメかーーー」という虚しさは、それを掘り起こそうとしても気持ちを納得させるだけのものは得られないですね。早々に切り替えるに越したことはないのでしょう。

 後期の結果を確認後、延納手続中だった私大の前期学費を振り込みました。国立の追加合格の連絡が来るとしたら3月末ですが、娘の気持ちに踏ん切りをつけるためそれを確認するのを待ちつつ、並行して私大の入学準備を進めます。

 

 娘は受験直前期を迎えるずっと前に、次のようなことを私に尋ねてきたことがありました。国立が不合格だったら浪人できるか。浪人したら塾を辞めなきゃいけないのか。それに対して私は言葉を選びながら応えたものの、娘に伝わるように話せたかどうか。最初に塾に通うことにしたときにも話したことですが、大学の学費として貯めた資金の中から通塾の受講料を出すから、そのために不足する学費は奨学金で補うこと、仮に浪人するとしたら宅浪を覚悟すること、この2点が条件。娘は覚えていなかったです。

 また、受験に合格するために通う塾は、続けたくても年度末に契約が終わり、浪人したら自動的に継続することはありません。

 娘の場合、学校で練習が忙しい部活に入っていたわけではなく、塾の勉強は一通りやってきました。生活リズムの維持のために通塾するという選択肢もありますが、塾で新しいことを学ぶという目的はありません。浪人の可否は、自分で勉強できるか、その意思を維持できるかにかかっています。

 現役でやれるだけやって惜しくも残念な結果なら、浪人しても屈辱を晴らすべくモチベーションを維持できるかもしれない。しかし時間はあるのに勉強に集中することができなかったなら、その環境にまた慣れてしまうのではないか。切羽詰まらないと目的を果たす結果を出すのは難しい。それが望めないなら、現役合格した大学でスタートを切って学び始めた方が有意義かもしれない。

 

 娘にはどちらが合っているのか。それは本人以外どちらとも言えず、結局どうしたいのかという本人の意思次第でもあります。

 娘は第2志望の私大に入学します。それは想定していたことながら、国立の不合格と背中合わせの結果がいざ現実となり、まだ気が抜けています。国立がダメだったら行く気満々だった大学なので楽しみにしている一方で、国立に対する思いも残っているので、娘は編入の可能性を模索しているようです。国立に編入するなら海外の大学に編入した方が、もともとそのつもりだったのだし・・と私は思ったりもしつつ、娘の進む道はこれからどこに向かっていくのかな。母の見守りはもう少し続きそうです。

 やった気になるのではなく本当にやり抜くこと、それを大学ではつかんでほしいです。