君と歩いた道

シングルマザーもものブログです。公立の中高一貫校に通う娘がいます。

今年度のゆくえ

 zoomを使った双方向オンライン授業がスタートして1か月余り。休校期間中は実家で私の弟のPCを借り、自宅に戻ってから分散登校中はiPadを使い、ほぼ順調に参加できているようです。

 とはいえ娘は、zoom大好きというわけではないですね。zoomは自分がどアップで映るのがいや!!!と言っています。まあ気持ちとしてはわからなくもありません。よく知らないクラスメイトとzoomで初対面となると、多少なりとも緊張するかもしれません。

 また、在宅学習日の時間割のうち、zoom授業はごく一部で、それ以外は授業動画の視聴と課題に取り組むというシナリオですが、そのとおりに進んでいるのかどうかはグレーです。やらないとあとで自分が困ることになるから、自分で考えて進めているのであろうと、あえて口は出しません。

 登校日は、午前と午後にクラスを分けての分散登校で、半日登校すると残りの半日は自習ということになっていますが、その半日が授業中という認識はどうも娘にはなさそうです。

 

 ところで、休校期間中に新年度が始まり、オンライン学習を導入し、学校が再開され分散登校が始まり、という現在までの経過ですが、その間、公式文書以外に新しいクラス担任の先生から保護者宛にお手紙とか、メールが来たりとかは一度もないのですよね。

 中学から高校に進級したので、通常であれば生徒の成長に応じて(成長を促すためにも)、先生の関わり方が子ども扱いから、少し大人になって対等になるという変化を感じることはあるだろうなと思うのです。私自身も、高校に進学して中学とのギャップに驚いたことがありましたから。通常なら、いちいち保護者に連絡は来ないのでしょう。

 けれど、この状況は通常ではないですよね。大人とか子どもとか、高校生とか中学生とかの指導のあり方に関わらず、新年度のクラス替えや担任が変わるタイミングが休校期間中であれば、書面でもメールでも「◯組の担任になりました◯◯です」というような挨拶を一言でもいただけたら、感染拡大の不安の中でも新年度が始まったんだな、という区切りが少なからず感じられるのになと。学校でメールを活用していないわけではないですし。

 学校と企業や仕事では必ずしも同じようには考えられないとしても、人間関係は対面ばかりではないのはもともとなわけで、そういう場面では着任の挨拶とか自己紹介とかを書面なりメールでしますよね。少なくとも仕事ではするかな。

 それが何もないまま、ひたすら子どもから情報を探るばかりで、どーなってるのかな・・と状況把握は保護者の想像力頼みでこのまま行くのでしょうか。むろん、疑問があれば電話して聞くのですが、その前に挨拶を交わすことなく3か月が終わろうとしているのがもやもやします。

 

 こういう雲をつかむような状況の中で、娘が宿題や課題だけやっているとしたら、学習時間も学力も不足するのはわかりきっているし、本来学校に期待しなければならない範囲を塾などに頼る必要が出てくるとしたら、善し悪しはともかく具体的に動かないと・・という焦りがむくむくと顔を出してきます。

 娘が自分でどんどん進めていく優等生だったら、こんな心配は不要かもしれません。また、学校が暇つぶしの場と親が割り切れれば、こんなふうには考えないでしょう。暇つぶしに学校に行けたら、暇つぶしに勉強できたら、本当に気がラクです。

 しかし、少なくとも大学受験、国公立大学受験に向けた取り組みは学校で充分に網羅できるという方針を親目線では信頼して、受検して入学した学校です。生徒に勉強を強制するのではなく、勉強したくなる雰囲気や好奇心を喚起する環境を期待していました。過去形に特に意図はありません。

 

 入学して3年余りが経ち、ほかの学年の様子がだんだんと見えてくると、娘の学年は校内で毛色が違う独特さがありながら、それなりにいい学年だな、と改めて思います。

 娘の学年の良さは、どんな子にも居場所がありそうな、気持ちに余裕がある点。マウンティングとかスクールカーストとか皆無ではないとしても、そういうムードに流されない。気の良い子たちがたまたま集まった。しかしそれは見方を変えれば、先生が扱いやすい従順な子たちではないということです。

 この学年として、そのひとりとして、だからこそ誇りを持って勉強も貪欲に頑張ってくれないかな、と娘には望むところなのです。

 初め良ければ終わり良し、終わり良ければすべて良し、というのは、物事の始まりや終わりに振り返りを促す諺ですが、始まりがぼやーっとしてしまっているので、改めて意識したいなと思う今日この頃ですね。