君と歩いた道

シングルマザーもものブログです。公立の中高一貫校に通う娘がいます。

ひとり親にとっての仕事

 有事こそ、初心を思い出します。娘を育てること、娘の健康と安全を最優先すること、それが私のスタンダード。

 娘にとって私はたったひとりの親であると同時に、世帯主、生計維持者です。仕事さえあれば、娘の生活と教育を担保できる。そう考え、とにかく働いて稼ぐことに集中してきました。心配や不安に対しては、自分の心に突っ込みを入れないように、そのときが過ぎ去るのをじっと待つ。

 保育園や小学校、学童保育に通う時期には、いざというときに職場から徒歩でお迎えに行けるように、娘が私の職場にも自分で来られるように、動線を考えてきました。現在でもそれはさほど変わりません。自宅と職場、食料品や生活必需品を購入する小売店、病院や耳鼻科、役所など、移動は限定的です。それくらい狭い行動範囲です。

 自動車や運転免許を持たない、自転車もできれば持ちたくない(保育園時代は電動に乗っていましたがその後手放しました)、それでも生活には問題がない環境を作ってきました。

 少なくとも娘の自立を見届けるまでは、日常が常に究極なのです。

 そう考えると、動かない(外出しない)こと自体はそれほど難しくない。震災のとき娘は6歳でしたが、今以上に外には出られませんでした。感染防止は実行あるのみです。今不安なのは、仕事の先行きです。これまでの生活は仕事があるという前提の上に成り立ってきました。

 

 政府から緊急事態宣言が発出され、自治体は独自に感染防止、外出自粛を呼びかけています。感染者数や死亡者数は把握されているだけでも日に日に拡大していく中で、その取り組みは諸外国ほどに強制力がなく、人々の自主的な行動に託されています。

 そもそも、人はひとりひとり違う考え方をする生き物です。だから人間なのです。その人間の自主的な判断に任せるのが妥当な場面かどうかは、それこそそのときによるのではないでしょうか。つまり、国や自治体、事業者などのトップが、状況に応じて臨機応変に動けるか、柔軟に考えられるか、融通を利かせられるかで、ウィルス終息までの最大の近道を私たちが選び取れるかどうかが変わってくるのではないでしょうか。

 求められているのは、実は強制ではなくリーダーシップです。法的に強制できないということとリーダーシップを発揮できないということは同義ではありません。

 これまで、国民、住民に周知できなくても、国民、住民は周知されなくても、重要な決定がスルーされてきました。国はその方が都合が良い場合がほとんどだった。しかし、今のこのような事態になると、それでは困ります。他人事ではダメなのです。自己責任では通用しなくなるのです。

 

 事業者の危機的状況を踏まえても、社会の機能を通常に戻すための最大の近道は、1か月なら1か月、集中して一斉に動きを止める。売り上げが減った、顧客が減ったと言いながらズルズルと営業を続け、顧客を誘引することで感染拡大が収まらず、それが結果的に何か月も何年も続くことになったら、事業者の経営状況はもっと悪くなることが考えられます。

 医療機関ライフライン、公共交通機関、食品や生活必需品の小売店を除き、みんなが一斉に動きを止めたら1か月ですむのか。それはわかりません。しかし、中途半端に続けるよりは、感染拡大がピークアウトするまでの期間を短くできるのではないでしょうか。

 

 私はそう考えますが、同時に小さな会社に勤めるシングルマザーです。仕事を失わないために、また会社を存続させるために、勤務先トップの経営判断をただ黙って見ていることはできません。できる限りの働きかけをしないではいられません。

 小さな会社ですから、自治体から直接休業要請が来ることはないかもしれませんが、それは休業しなくてもいいということではありません。リモートワークが不向きな業種でも原則休業にし、例えば玄関に、新規の緊急のお客様には連絡を依頼する貼り紙を設置し、電話、ファクス、メールで対応する、交代で出勤し常駐する人員を最小限に減らす等、やり方はいくらでもあるはずです。