君と歩いた道

シングルマザーもものブログです。公立の中高一貫校に通う娘がいます。

ウィルスとの共生

 5月6日までという期限付きで、国の緊急事態宣言が発出されたのが4月7日。PCR検査の1日の実施件数を2万件に増やすと安倍さんが表明したのが、宣言の前日の4月6日。この時点で、国内で最初の感染者が確認されてから2か月以上経過していました。すでに遅いのですが、それからさらに1か月。

 自主的に外出を控えてね、感染を予防してね、という消極的なメッセージは当初からありました。しかし、オリンピックどうするの?できるの?経済や教育に対する補償はどうするの?という懸念が優先され、感染防止を徹底する積極的な発信はなされなかった。国が発信すると責任が問われるので、国民が自主的に予防してくれて丸く収まってほしかったわけです。しかし、そうは都合よく行かないのであって、忘れてはならない政府の落ち度です。

 命を守ることよりも、生活や経営を維持する方が優先。命を失うことよりも、お金が入ってこなくなる方が恐怖。決して命を軽視しているわけではなくても、人間はどうしても目に見える恐怖、わかりやすい安心に向かってしまう。しかも無意識に集団で。

 

 感染症の流行の兆しを見た時点で、感染したら困ると考える人は、個人的に予防を始めていただろうと思います。あくまでも個人的に。外出を控え、接触を最小限に抑え、集め得る情報を精査し行動の指針を模索して。

 しかし、気にしない人は気にしない。危機意識の差は人々を分断します。3月上旬から学校は休校になりましたが、休校になった意味や目的を認識しないまま(子どもというより大人が)行動変容には至らず活動しまくっている人々が少なくなかった。学校からも、休校期間中に生徒たちへの注意喚起などなかった。学級閉鎖のちょっと規模が大きいバージョンくらいの認識だったのでしょう。

 学校の休校要請と同時に緊急事態宣言を出し、生活必需品の範囲を縮小し、食料品の買い出し以外の外出をみんなで頑張って控えたら、少なくとも流行の第1波のボリュームをもう少し抑えられたのではないか、検査も治療も受けられずに亡くなってから発見されるということを防げたのではないか、と思いました。

 また、一つの情報でもひとりひとりに浸透するまでにはタイムラグが発生します。そして情報は日々更新する。発信の方法についても考えさせられたこの4か月。1回言えば発信したという言い訳は、この状況では通用しない。相手に伝わらないと、発信したことにならないのだということを痛感しました。

 

 つまり、この4か月の国内外の動きを振り返ると、緊急事態措置が延長される状況を、国のあり方そのものが作ってきたわけだから当然にも思えるのです。そんなものだろうと最初から見通して、傍観していた人が外出を誘引する活動を止めないから、今まで休業してきた事業者や外出を控えていた人が限界を感じ、さらに感染防止が徹底されなくなる。

 流行の第1波を中途半端に抑えきれないまま、ウィルスとの共生の段階に進んでしまう。こういう国(政府)だから、なし崩し的にそうなる。

 保健所が削減されてきた経緯、まともな休業補償をしぶる政府の姿勢など、国民が蔑ろにされてきた国のやり方を見直し、覆す強い意思をひとりひとりが持つことができたら変わるかもしれない、と思いつつ、ウィルスだけでなく、ウィルスを通してこの多様な人間同士が共生するあり方が問われているようにも思えます。

 国民が問題の本質から目を逸らさず一致団結することが、今の政府にとっては脅威なんでしょうから、選挙権はトイレに行くように当たり前に、誰もが行使したいです。人間はひとりでは生きられない。共生のもとに生かされていることを、せめてこのウィルスの流行からつかみ取りたいです。