君と歩いた道

シングルマザーもものブログです。公立の中高一貫校に通う娘がいます。

呼びかけ

 連休に入る前の授業で、ある教科の先生がおっしゃったそうです。「この連休は、出かけちゃダメですよ!」この先生は、日頃からご自身の考えを本音で生徒たちに語りかけてくださっている様子が、娘の話から伝わってきます。コミュニケーションを諦めていないというのでしょうか。だから、娘たち生徒に慕われ信頼されているのは頷けるのです。

 一方で、学校からは、こうした呼びかけはまったくありません。お手紙もありません。分散登校が終了するときにプリントが配布されましたが、それっきりです。その後、通常登校になり、教室は密になり、部活も再開され、ほぼ同時に市中の感染状況は拡大していくのですが、何の呼びかけもありません。校長にリーダーシップがないということでしょうか。

 そして生徒たちの多くは、連休に遊ぼうと誘い誘われ、実際に遊びに行き、それをインスタに上げるのだそうです。

 こういう状況を作り出している学校は、学校から感染者が出てもしょうがないと考えているのでしょうか。国は自治体に丸投げ、文科省は教委に丸投げ、教委は学校に丸投げ、学校は生徒に丸投げです。自由とか人権が感染防止の足かせになっているかのように言われますが、実は自由とか人権という概念を責任回避のために利用しているだけではないですか。

 

 娘は学校には登校していますが、部活動は休んでいます。理由は、感染拡大防止。通常登校開始と同時の部活動再開は早いと判断しました。少なくとも通常登校を始めて2週間は慎重に経過を観て、そのうえで部活動再開に踏み切ってほしかったですが、学校の方針はそうではなかった。

 通常登校開始の時点で、すでに市中の感染再拡大の兆候は見られ、それだけでも心配な状況でした。その後、2週間以内に日別の感染者数が2倍、3倍と増えていくわけですから、教委のスケジュールに沿って部活動を再開していなければ再開のタイミングを逃していたでしょう。実際、その後に各地で感染者数の最多を日々更新し、学校クラスターや部活動クラスターが出始めていますが、活動を中止する様子はありません。

 そもそも感染防止を徹底しながら学校生活を送ること自体、完全無欠にはいかないだろうと思います。もし、宣言解除後に市中感染の拡大を食い止められていたら、夏休み明けには慎重に部活動再開という流れを想像していましたが、宣言解除すれば感染が拡大するとなれば、秋以降の拡大はさらに大きくなることが懸念され、話の向きは変わります。

 部活動は、まさか部内から感染者が出るまで活動を続けるつもりなのでしょうか。それとも、ウィルスが終息するまで個人の予防だけで感染者を出さないで行けると考えているのでしょうか。

 

 ウィルスの流行そのものはもちろん不安ですが、不測の事態に人間がどう判断し行動するか、そのありようの方がよほどホラーです。人間が完璧ではないことを踏まえないのは無責任です。当たり前の恐怖や心配を見て見ぬふりしたり、建前ではあたかも寄り添うような相槌を打ちながら、組織的には何もしないし言わないしで横並び。自分ごととして考えないし行動しない。

 これを日本人の国民性という人もいますが、それは実は自分自身が何もしないことの言い訳なんですよね。国民性なんて自己暗示以外の何物でもなく、あってないようなものなんですから。

 連休明け、感染者数がどこまで最多を更新するのかわかりませんが、自分の身近な人が重症化したり亡くなったりしないとわからないとしたら、あまりにも残念ではありませんか。

 ウィルスの流行に対しては、大人も子ども(高校生や大学生も含む)も同じように当事者意識を持つことが必要ではないかと思うのです。大人は子どもを最大限にサポートして、感染拡大防止の意義を子どもにわかる言葉で伝える。子どもは大人の姿を見て育つので、子どもが当事者意識を持つためには、大人のあり方が問われるということを、この際しっかり意識して。

 子どもにしっかりと呼びかけることなく、かわいそうと憐んでいるだけでは、子どもの未来がかえって行き詰まってしまうと思うのです。