君と歩いた道

2017年に公立中高一貫校に入学した娘は、2023年に大学生になりました。

娘のために働く母から自分のために働く人へ〜14年勤めた会社を退職後

 娘が高2の冬、14年勤めた会社を退職した。 娘の大学受験がいよいよ本番というときに、なかなか取れない内定を取ったことで退職を決めた。適応障害で半年休職後、復職したら自分のポジションは失われており、まったく畑違いの職種を割り当てられた。それから4年、あるときは前向きに、あるときは自分を騙し透かし続けてきたが、今で言うパワハラを無視して働き続けるのは限界だった。辞めると決めたら、こんなに晴れがましい気持ちになるとは思わなかった。

 それから2年。事あるごとに辞めて良かったと思う。あの会社から離れられて本当に良かった。

 ところが、そうして意気揚々と転職した会社は、前職と似たり寄ったりの会社だった。経験で採用されるということはそういうことなのかもしれない。そもそも同じ業種だった。環境は前より劣悪だったので7か月で退職。その後は、正社員でうっかり変な会社に入社することに臆病になり、しばらく派遣で行こうと決めた。

 久しぶりの派遣での就業は快適だった。何はともあれ気楽。いくら派遣は不安定とはいえ、できることならずっと気ままに派遣で働きたいと思った。しかし、その〝ずっと〟というのが保障されないのが派遣だ。働きたくても仕事にありつけないことは往々にしてある。

 5か月後、別の派遣会社で職場見学を通過した派遣先に乗り換え。決め手は、派遣会社の福利厚生と、派遣先のオフィスとトイレの清潔感。希望の職種ではないのとやや遠いのが玉に瑕だったが、これから先自分がどれだけ働けるかを考えて職種へのこだわりを手放した。

 希望に胸を膨らませ入社したが、これがまたブラックな環境で、人がすぐに辞めてしまうから人手不足が常態化している職場だった。研修もOJTもなく、いきなり担当のクライアントを割り当てられた。一方で、初めての業種と職種に興味が芽生えた。辞めるのは仕事を覚えてからでも遅くない。不安はあったが揺れながら契約を更新する。

 この場所で、自分の意識の変化に気づいた。それまで私は心の中でいつも〝娘のために働く母〟だった。娘が独り立ちするまでは、とにかく死ねない。働き続ける。それが、環境が変わったタイミングもあるのか〝自分のために働く人〟に変わっていた。同じ職種の同僚は、育児中の女性や独身の女性、育児から手が離れた女性、数は少ないが男性もいて、皆黙々と業務を進めている。それぞれの家庭を深く干渉しないでいられる。ただ、仕事しに来ているのが共通点。そこだけのつながり。

 そして思いがけず、何度目かの更新で社員化の話を受けることに。派遣と比べてどちらがましかと考え、やってみなければわからないことはやってみるしかない。

 収入は、勤続14年の会社から派遣になり200万down、派遣から社員化で100万upで、差し引き100万downだが、どこに行ってもそんなものか、それ以上はないだろう。給料は良くないが、居心地が悪くなければ続けたい。

 先にブラックな会社と書いたが、気に入っている点もある。フレックスやリモート勤務は、やってみると心身ともに負担が軽減することを知った。遅刻の心配がない。ある程度の数の従業員がいるから、人との距離感が近すぎない。年齢にかかわらず、このままヒラでコツコツと働けたら幸いです。