君と歩いた道

シングルマザーもものブログです。公立の中高一貫校に通う娘がいます。

冬が来る前に

 11月になりましたね。今年も残すところ2か月足らずです。コロナコロナで来てしまいましたが、やり残したことはなかったかな・・と振り返ったら、たくさん湧いて出てきそうです。整理して、これだけは!というところから手をつけていきたいです。

 ともあれ、おかげさまで、娘も私も元気です。それだけでも、今年を生きた意味は大きいかもしれません。

 

 最近、何だか気分が変わったように感じます。私は被雇用者としてずっと働いてきて、お金を担保するためのフルタイムワークから解放される日が待ち遠しくてしょうがないため、娘の大学卒業まであと⚪︎年、私の年金受給まであと⚪︎年・・と指折り数える日々が長いこと続いておりました。

 しかし、そんなふうに、あとどれだけ働き続けられるのかと考えることに、このコロナ禍において限界を感じてしまい、辛過ぎて堪えられなくなった。

 かけがえのない人生、子どもの成長は何よりも楽しみであるはずなのに、もったいない過ごし方に心を奪われてしまっているのです。それが残念であることはわかっているものですから、意識しないようにはしていましたが、ここに来てできなくなった。もう無理だと思いました。

 かといって投げ出すわけにも行きません。そこで、今日のこと、明日のことに意識を集中することにしました。

 

 何が起こるかわからないということは、不安な面がある一方で、楽しみなことでもあります。当たり前なことのようですが、子どもが自立するまでは路頭に迷うわけにはいかないと先読みをしてばかりで、その楽しみに目が向いていませんでした。

 完璧にできなくても、なんちゃってみたいなことしかできなくても、やるしかない。何でもいい。やればいい。苦手だと思って尻込みしていたことでも、やり方を変えればできたりする。

 そうして一日一日を過ごしていくと、気分が変わってきたのです。できなかったらどうしようと考えることが減っていきました。

 朝を迎えて、窓を開けて、新鮮な空気を吸う。一日が始まって、会社に行って、何をやるのか。やることは、心配しなくても後から後から生まれてくるのです。何が起こるかわからないというのは、実はわくわくすることでした。

 

 知人が突然死した年齢が近づくにつれ、自分はいつまで生きられるのかという思いが常にありました。娘はまだ高校生、まだここでストップすることはできない。けれど、そういう場面がいつ来てもいいように、一つ一つ準備して生きていこうと思えるようになりました。

 もし私が早死にしたら娘は悲しむでしょうけれど、胸いっぱいの愛情を残して行けるように、娘がさびしくないように、乗り越えられるように、娘が生きる力を支えていきたいのです。