君と歩いた道

シングルマザーもものブログです。公立の中高一貫校に通う娘がいます。

新しい時間を刻む 2022年謹賀新年スペシャル

◇ 謹賀新年

 年が明け、2022年になりました。謹賀新年でございます。おめでとうございます。皆様は、どんなお正月を過ごされていますか?

 私は、この年末年始は2年ぶりに実家で過ごしました。休暇中は実家にこもって、一歩も外に出ませんでした。実家はマンションの大規模修繕で窓が二重サッシになり、結露が気になるほど暖かかったです。みんなで食べるおせち料理、お雑煮、カレーライスがおいしかった。

 ベランダから写真を撮りました。初日の出と、懐かしい眺望。あちこちの建物が建て替えをして、見慣れない建物が増えていましたが、観音様や山は変わらずに見えた。小学校も見えた。

 『義母と娘のブルース 2022年謹賀新年スペシャル』は録画予約もしていましたが、実家でみんなで観ました。胸に迫る見応えでしたね。

 

◇◇ 話しておきたいこと

 母は、生きて会えるうちに話しておきたいと言って、眠っているとき以外は延々としゃべっていました。母の長い話を聴きながら、その中に時々現れてくる「本当のこと」の数々。

 その一つは、父のこと。父と母はなぜ離婚したのか。というより、母はなぜ父と離婚したのか。

 それは今までもこれからもミステリーなんですが、聴けば聴くほどますます、父はどうしても離婚したくなかったけれど、母の気持ちが頑として変わらないことに自信を失くして諦めた。子ども(私)にとっては、父がもう少し強くて、離婚しても絶望なんてしないで、すっとぼけて頼もしい存在でいてくれたらと思いますが、母の夫としては、父は母のことを一途に好きすぎた。純粋すぎた。そして母はあることをきっかけに、ふっと気が抜けた。母は今でも、お互いに高校生だった頃に出会い結婚するまでの父の写真を大事に持っており、心の奥に父への贖罪の気持ちすら抱えており、子どもにとってはミステリーであることに変わりありません。

 私が気づいた頃には、家族の中に父はおらず、家族大好きな父の面影の記憶だけ。漠然と死んだと思っていたけれど、ひょっとして生きているかもと謎めいた存在でした。だって本当に死んでしまっていたなら、家庭の中に父の存在感があったはず。しかし我が家には、父の存在感が良くも悪くもまったくなかった。そして高校生のとき、生きていることをうっかり知った。その後、新しい家庭のお父さんになっている父の家の前まで行ったけれど、ピンポンできず何十年。危篤の知らせをもらったときには、もうその状態が1か月以上続いていて、すぐにお見舞いに行った。父の瞳に、私たちが映っているのがわかった。泣いているように見えた。声をかけると、かすかに頷いたり、まばたきをしたりした。その数日後に亡くなった。

 やはり、私は勇気を出せば良かったのだ。あのとき、勇気を出してピンポンしていたら、目の前に長いことかかっていた靄が晴れたのだ。父は私たちに会いたかった。私の気の弱さは、父親譲りだった。

 

◇◇◇ 新しい時間を刻む

 実家で過ごした最後の日は帰りに百貨店に寄って、我が家の壁掛け時計が年末に壊れていたので、母がこの際新しい時間を刻む記念にと壁掛け時計を買ってくれました。娘には、延期していた高校進級記念の腕時計を買ってくれました。予算よりかなり高めの、高校生には高級すぎるものになってしまいましたが、娘には大切に使ってもらいます。

 それから、炊飯器も見ました。我が家には今炊飯器がなく鍋でごはんを炊いているのですが、そろそろ買おうかなと思って物色中なのです。

 百貨店もまた、超久しぶりでした。コロナ禍ではなくても百貨店に行くこと自体が稀になっている今日この頃ですが、母が百貨店が好きなので、行く機会がたまにあるという感じでした。それがコロナ禍で皆無になっていましたから、百貨店に並ぶ商品の華やかさが別世界のように新鮮でした。人出もすごくて圧倒されました。

 

◇◇◇◇ まとめ

 今年は、甥が就職して家を出ます。姪は就職して3年目を迎えます。娘は大学受験。私は転職します。この10年を、勿体ぶらずに成長できる10年にしたい。前を向いて進みます。

 新しい年が、皆様とご家族にとりまして良い年となりますように。