君と歩いた道

2017年に公立中高一貫校に入学した娘は、2023年に大学生になりました。

好きな先生は国語の先生

娘が2年生になって、初めて受け持っていただいている国語の先生の話です。

私は授業公開で、この先生の授業を初めて聴講して、いい先生だなぁと思いました。先生らしい先生というか、授業の展開から、人としてここだけは譲れないみたいな信念を持って生徒と関わってくださる良心を感じました。そしたら、娘もその先生のことを同じように感じていました。

子ども一般の話にはできないですが、意外と子どもはよく見ているなぁと感じることがあります。あなどれないというか、しばしば感心してしまいます。それとも、こういうのって親子ならではという面もあるのでしょうか。親子で性格なんかは真逆でも、感性的に通じるものがあるのか。

話を戻します。問題は、娘の目にそんなふうに映る先生が、今年度はその先生だけということです。

いい先生と思える先生に出会えただけでも、ありがたいことで、人生において素晴らしいことではあるけれど、学校生活は国語だけではありません。その先生の授業は週に数回です。

私が中学生だったとき、たまたまかもしれませんが、お世話になった先生はみんな個性的で面白くて、かつ生徒思いのいい先生ばかりだったなと思い出されます。

公立中学校で、受験戦争とか校内暴力という言葉が流行していた背景もあります。生徒には見せないところで、先生方の学校運営に対する方針の対立があったようですが、先生が他の先生のことを悪く言うようなことはなく、生徒に向ける眼差しは公平で温かかった。私たちが卒業した後に、いい先生はまるっと異動してしまい、その後学校が新聞沙汰になるほど荒れてしまうという経緯がありました。

娘は今10代の真っ只中にいて、自分自身の方向性を決定づけるような確かな出会いが、これからいくらでも待っているはずです。1人しか「いない」のではなく、1人「いる」と、信頼できる先生に出会えたことを前向きに受け止めて、新たな出会いを引き寄せていってもらいたいですね。