君と歩いた道

シングルマザーもものブログです。公立の中高一貫校に通う娘がいます。

あれから7年

7年前の3月11日は、保育園の卒園式の日でした。14時46分には、謝恩会の会場に娘と一緒にいました。

その後、周りでは、原発事故による放射能汚染から逃れるためにお子さんだけ避難させたり、移住したりするご家族もいました。自治体の対応はまちまちで、休校にする学校もあれば通常どおりの学校もあったと後で聞きました。

私は娘を連れて遠くへ逃げることができませんでした。怖くて動けませんでした。その怖さとは、母子で仕事もなく知らない土地に行ってやっていけるのかという怖さです。私には会社勤めの経験しかなく、仕事を得るまでの苦労は並大抵じゃなかったので、その怖さに飲み込まれると思考が八方塞がりになってしまいます。もしかしたら、そういう一人一人の仕事を失う怖さに、このような原発事故を誘発してしまった一端があるかもしれないのに。

それでも娘に最低限の被曝防御だけはしなければと考え、できることをやるために必死で過ごした日々。

6歳だった娘は13歳になりました。

震災・原発事故直後は明らかにされていなかった詳細な経緯が、忘れた頃に歴史の一部のように整然と記述されていたりします。そしてそれらは今後も訂正されたり書き加えられたりしていくでしょう。時間が経って記憶が遠去かることがあったとしても、思い立ったら振り返る。そうすると、知らないまま忘れ去ってしまいかねないことに気づくことができて、自分の危機意識を見直すきっかけになるかもしれません。

だって、単なる思い出ではないのですから。

これからも娘の健康に気を配りながら、娘には、自分にとって本当に大切なものは何かを見つめ、逃げるべきときに逃げられる生き方、人間的であり続ける人間性、正直な自分を活かせる場所を見つけていってほしいと望みます。

日々の勉強も、そのための礎になるものです。