マラソン大会に向けて、体育の授業ではもっぱらマラソンをやりますね。走るのがいやな子にとっては大会だけでも気が重いところへ、さらに授業でも走らなければならないという苛酷な季節です。
ある朝、その日もマラソンの授業があったのですが、娘が体育セットを準備しながら思い出すように話し始めました。
---Xちゃんは、マラソンいつも休むんだよ。「私、具合が悪いから休むんだ〜」って自慢げに言うの。ケロッとして、全然具合が悪そうじゃないの。
---Yちゃんもいつもお休みするんだけど、Yちゃんは本当に走れないんだと思う。ケガして脚を痛めてから走れなくなっちゃったらしい。本当は走るの好きなのに。
自分がいやいややっていることを、他人が簡単にやらないですまそうとする、しかも嘘をついて、というのは、そういうふうに見えたら良い気持ちはしないですね。
もしかして本当に何らかの疾患を抱えていて止むを得ずお休みしているとしても、「休めてうれしい」というのをわざわざ吹聴するのは、少なくとも聞く人の立場になって出てきた言動じゃないのでしょう。Xちゃんの言動には、娘は日頃から良い印象を持っていないから余計に気になるのかもしれません。
それはさておき、娘は他人のせいで自分が我慢してあげているみたいな鬱憤を溜めてしまうようなところがあって、「人のふり見て我がふり直せ」とか「自分は自分、人は人」みたいに自分に都合良く折り合いをつけるのが苦手なようです。
思春期特有のものなんでしょうかね。なんかこう、やたらと正論を振りかざしてイライラしているときがあります。自分がやりたくてやっているはずのことでも、いつの間にか他人のせいでそれを忘れてしまって、やらされているみたいなことを口走ってみたりとか。
人間関係はどこに行っても多かれ少なかれ付いて回るもので、他人がどうだろうと自分の目的を見失わなければ流されることもないのかもしれないですが、娘を見ていると振り回されたり流されたりの一喜一憂が多くハラハラします。
そういう負の感情は外では出さないようなのですが、家で発散していると思って見守っていればいいのかな。
その後、娘はいつもどおり登校していきましたが、こんな話をしたこともしばらくしたら忘れちゃうことです。忘れちゃうからまだいいんですけど、忘れちゃっても、自分はどうしたいのか、そのためにはどうしたらいいのか、と考えることは忘れないでほしい。自分に自信を持って、自由な気持ちでいてほしいですね。
娘、ふぁいと!!