君と歩いた道

シングルマザーもものブログです。公立の中高一貫校に通う娘がいます。

高2の学校生活は始まったばかり

 娘が5年生になって1か月が過ぎました。この1か月は、新年度の手続き的行事の諸々が凝縮しています。それが一通り過ぎ去り、ほっと一息つくゴールデンウィーク

 振り返ると、年度の変わり目の新しいクラスや新しい担任に対する娘の期待度は、年々下がっていくようです。私は、恒例になっている公立学校教員の異動者一覧に目を通すくらいで、淡々と始業式の日を迎えました。

 

 今年もまた例によって、娘は仲が良い友達と同じクラスになれなかったようです。というのは、気心が知れた友達がバラバラに散るのではなく、自分以外はみんな他の同じクラスに集中して、自分だけハズレということです。幼馴染の親友も、未だに同じクラスになれないまま5年目を迎え、このぶんだと卒業まで一度も一緒になれなさそうですね。

 周りを見ても、わりと仲良しグループが同じクラスになっているようです。

 ということは、もしかしたら娘は先生にわかるほどには、自分の地を出せていないのかもしれないな、なんてちょっと思いました。「先生は言ってもわかってくれない」と伝えることを諦めている節もありますしね。

 一方で、担任の先生は、娘が大好きな先生にアタリました。良かったじゃないか。めでたいことです。この先生は、私も娘が中2のときの授業公開で授業をたまたま聴いて、いい先生だなーとそのお話に感銘を受けたことがありました。真に先生らしい先生というのでしょうか。

 まとめると、この1か月の娘の様子は、一見毎日が楽しくてしょうがないように見えながら、何度か重い口を開いて、傷ついたり悲しかったりしたことを半べそで話すことがあり、日頃黙って我慢していることを垣間見せました。

 

 一つ言えることは、娘にとっては、仮に学校やクラスで楽しかったことが思い出せないくらい楽しくないことのボリュームが大きかったとしても、これからはまだわからないということ。

 来年のことはまだわからないし、今年だって、よく知らなかった友達の隠れた魅力に、ばったり遭遇するかもしれない。逆に、自分の隠れた魅力を友達が見つけてくれるかもしれない。どこにどんな出会いが隠れているかは、誰にもわからない。

 知らないということは、それだけ可能性を秘めているということだからね。自分の知っていることは、それがすべてではないどころか、ほんのほんの一部に過ぎない。

 だから、ふと我に返ったときには心柔らかく、自分にやさしくしてあげてほしいなと、そんなことを私は思ったりするのです。