君と歩いた道

2017年に公立中高一貫校に入学した娘は、2023年に大学生になりました。

受験しない受験勉強への思い

当時、こももの中学受験(受検)があるとすれば公立中高一貫校1本で、私国立の受験は考えたことがなかったので、その方面の通塾や学習は全く眼中になかった。

公立中高一貫校の受検に限って考えたとき、学校の学習をベースにしてそこに受検対策を乗せるとすれば通信か通塾かと迷い試行錯誤したが、今思えばこももは通信で学習することになじんでいたので通信で学校の学習を補強して、プラスアルファは6年生から過去問対策を塾に頼るので充分だったかもしれない。ただし塾によって対策プランはさまざまだったり、講師によるところも大きいので、家庭の方針に合わせた塾の選択が難しいのだと思う。

ちなみに、こももが6年生の夏から仕切り直して通い始めた塾では、過去問対策と弱点補強の個別1コマで週3日通った。空き時間に空き教室で時間を計って過去問に取り組む機会を毎週作ってくれた(無料)のはありがたかった。本番さながらとまではいかないが、擬似体験を本人が意識するという意味で有意義。そういう点は塾ならではの魅力だ。

通塾しつつ同時進行で、まだ目にし得ない対策や方法が埋もれていないかと探し、調べて、我が家なりこももなりのプランの構築やその見直しは受検直前まで続いた。そのときそのときに応じた必要なことは何かと常に考えていた。

そんな中、私国立受験向けの進学塾や数々の私学についても知っていくことになる。それまでは、御三家や新御三家がどの学校を指してそう呼ばれているのかも知らなかった。受験を考えていなくても、それぞれの学校の成り立ちや伝統、特色、時代の流れの中での変遷などの情報を見聞きするのは興味深かった。

例えば、

サピックスのHPを初めて見たとき、私はそこに書いてあることを読んでワクワクした。塾の運営方法はともかくその理念においては、これは塾というより学校だなと思った。親が我が子を行かせたくなる気持ちがわかる気がした。

日能研のHPを初めて見たとき、日能研は自分が子どもの頃からその名が知られている塾で、当時は中学受験する少数派のお子が行く塾というイメージだったのだが、今ではサピックス同様、取り組み方が塾というより学校みたいだと思った。我が子に優れた教育を施したいと考える親の気持ちをグッとつかんでくる。

四谷大塚の予習シリーズを推奨する声をあちこちで目にして、どれだけ魅力的な教材なのかと興味に駆られた。その時点で我が家ではもう手を着ける余裕がない時期だったので、未体験のまま通り過ぎた。

現在は学校法人になっている私学だって、創立当初は塾みたいな存在だったのだろうから、今ある塾の中にもそのうち学校になり得る塾が出てくるかもしれない。公立と私立の違いにしても、今でこそ特色が二分されるような見られ方だが、もともとは同じ私立として肩を並べていた学校が一部公立になったりする歴史的背景があったりして、学校として見たときに単純に公立か私立かで分断することはできない。

ともあれ、受験(受検)の有無にかかわらず、私国立受験向けの勉強をこももにやらせてみたかったとは思う。何かのためとか急かされてじゃなく、ただ無為に、無心に集中できる勉強を。教育委員会のカリキュラムから外された範囲が、中学受験に残っている。それを通信でやろうと思えば可能だった。中学に入ってしまったら日々の宿題や部活に追われて、忙しくてそんなことを言っていられない。いったい何のためにこんなに忙しくしているのかと何が何だかわけもわからず、こももにとってふと気づいたら眠気との闘いのようだ。

小学生のとき、気持ちに余裕がある自由な時期に、何をやるかというのはとても大切なことなのだと振り返って実感する。「好きなことをやる」とか「〝何もやらない〟をやる」とか、「受験しない受験勉強をやる」とか、ですね。