君と歩いた道

2017年に公立中高一貫校に入学した娘は、2023年に大学生になりました。

子どもの自主性を育む

先日、知人との会話で、こももの学校の学習計画表のことが話題になった。

テスト期間に入る前に学習計画表を作って、それぞれ生徒たちが自分でテストに向けた学習計画を書き込む。計画と照らし合わせてどれだけ実行できたかを、毎日親が確認して押印、翌日担任が確認して押印する。

それを聞いた知人は驚いていた。中学生にもなってそんなことをやっているのかと(そんなことというのは話の流れから、学習計画表を作ることそのものではなくて、それを親や先生がいちいちチェックすることだと思う)。しかし呆れることにそういう側面は一部の学校や生徒に限ったことではない。ある大学の研究室では、その研究室が子ども(学生)には合わないから研究室を変えてくれと親が言ってくるのだという。そんなこと、自分で言ってくるものだろう。大学生にもなってそんなに幼いのだと。ちなみにその大学は、言わずと知れた超難関の某大学だ。

それを聞いて私は思った。

学校は責任逃れやトラブル回避から、学習指導や生活指導の主導権を親に丸投げしてくる面もある。家庭に主導権を握らせて、学校はそれをサポートするという一歩下がったスタンスを取ろうとしているように見える。

上記のケースでは、大学(担当教授とか)が「お子さんに自分で申し出るように伝えてください」みたいなことを直接親に言ってあげるのだとしたら、最近の大学生のレベルが高校生並みだから教える方は苦労するというのも頷けるが、そこまで親切にするかどうかはそれぞれの判断で、気づかずに勘違いしたままの親も多いかもしれない。

また、少子化から最近の親は過保護だとか過干渉だとか言われるが、そこにうまく便乗して利用できるところは利用しようというのが学校側に垣間見える。親は学校に積極的に関わることによって日頃の我が子の学校生活がうかがい知れて満足するのだから問題はない。学校が親のボランティアを当てにするのも、限られた財源の中で削れるところは削りたいからそういう流れになってきた。子どものために(大学合格実績など)という大義名分のもと、学校と親との持ちつ持たれつの関係を気持ち良く維持したい。だから、子どものためには親が出る幕じゃないと思っても言わない。

つまり、親がしっかりしないといけない。

そういう私も、学校が作らせる学習計画表の存在を知った時はありがたいと思った。ところが毎日親がチェックするとはまさか思わなくて、後からこももが私に見せなかった、みたいなことになってしまったことがある。それからは、こももがどういう計画を立てたか、それをどう実行したか、それを毎日見るのが楽しみにすらなっている。しかし本当は、もっともっと放ったらかしていた方が、今自分がどう動くべきかという子ども自身の思考を生み出していくのではないかと思ったりもする。

子どもの自主性を育むというのは、実際問題どういうことなんだろうと考えさせられる。学校であれ親であれ、良い成績や合格実績を残すことにしのぎを削って、自主性を育むと掲げつつも、それとは真逆に子どもが自ら伸びようとする発露を奪ってしまっているとしたら? 名門大学の学生たちなどが起こした残念な事件の要因も、案外こんなところにつながってくるとしたら? なかなかなくならないいじめにしたって、全体主義の成れの果てである。

子どものために親ができることは、子どもがどんなに頼りなく見えても、手を貸さずに待つことなのかもしれない。