君と歩いた道

2017年に公立中高一貫校に入学した娘は、2023年に大学生になりました。

恋に恋する季節

こももの好きな人は、私にバレバレである。ストレートには言わなくても、こももは黙っていられない性格なので、遠回しに私に「どう思う?どう思う?」と自分から話題にせずにはいられないからだ。わかりやすいのがいいところでもある。

こももから聴く彼の話を総合すると、私には彼はチャラ男くんに見える。見た目がイケメンとかかっけーとかいうわけではないのに(失礼)、長けた話術で女子を翻弄して虜にする。まだ中学生のくせに、何人女子を泣かせれば気がすむんだよと腹が立ってくるレベルだ。リア充固執する欲求が自己中心的。相手の気持ちを考えていない。そういう面は、子どもだから大目に見るということでもない。

こももにとってはリア充ではなく、今のところ心の中で恋に恋する段階だ。それでも自分の周りで彼のために泣いた女子の固有名詞とか具体的な情報まで、短期間の間に次から次へと耳に入ってくるのに、そんな男をどうして好きになっちゃうかな。

正直、つまらない男に引っかかってんじゃないよと思う。

といいつつ、そういう心の体験がいつか通らねばならない道ならば、男を見る目を養うための必要不可欠な関門と割り切り、しばらくは見守りに徹したいところでもある。親の目から見た基準で彼をこき下ろしても、それで好きな気持ちをコントロールできるわけではない。ますます熱くならないように、こももが自ら心変わりする時を静かに待つの。待つのよ。

親の目から見てといっても、素敵な人を素敵な人だと感じるアンテナはこももに共鳴する。しかし、素敵な人だと感じる相手と恋に落ちる相手は、なぜ一致しないのか。

例えば、あの人は本当に素敵。言うこと為すこと、どの角度から見ても、人の気持ちを大切にしているのが伝わってくる誠実男子。おまけにイケメン。それは親子で常々同意。好きになるなら、あの人だったら大賛成なのに。人の気持ちは思いどおりにはいかない。

このハラハラは、いつまで続くのだろう。自分や周りの人たちのことを大切に考えた言動をする男子を、人として冷静に見定めてほしい。人を愛する土壌作りは、まず自分を大切にする心から始まる。