君と歩いた道

2017年に公立中高一貫校に入学した娘は、2023年に大学生になりました。

ハナコの一生

ハナコは金魚である。

こももが5歳の秋に、近所の神社のお祭りですくってきた。こももは金魚すくいがうまかった。2日間のお祭りで、1日目3匹、2日目1匹をすくう。ハナコは1日目にすくったうちの1匹である。ハナコ以外の金魚たちは、1週間ほどで次々と死んでしまったが、ハナコは4年近く生きた。

お祭りの夜、その場で、金魚すくいのおじさんに返そうよ、金魚は長生きしないから、すぐ死んじゃったらかわいそうだからと提案したが、こももは連れて帰ると言って聞かず、押し問答の末に金魚たちを連れて帰ってきた。こももの勝利。その時のこもものうれしそうな顔は言うまでもない。

とりあえずバケツに入れて泳がせながら、さてどうするかと考える。こももは飼いたいと言う。そりゃそうだ。私だって、子どもが小さい時に生き物を飼い育てることは、とってもとっても大切な経験になることだと思うけれど、お世話をするのは私だ。できるのか。育児と家事と仕事ですでに手一杯なのに、そのうえ金魚の飼育なんて、気力も体力も自信はなかったけれど、できなくてもやるしかない。そうだ、やるしかない。だって、金魚はもううちにいる。

まず、こももが名前を考える。この子はA、この子はハナコ、この子はC、この子はD、と。そう、ハナコ以外の子たちの名前を今はもう思い出せない(すまない)。ハナコは、2番目にこももがすくった子。

そして私は大急ぎで、金魚の飼育のために必要なものを調べ上げ、買い揃える。水槽は思ったより重く、水を替える作業や掃除は相当な肉体労働だった。そのほか、水の温度が冷た過ぎないように保つとか、石や草を取り替えたりとか、酸素を送るポンプの掃除とか。暑い夏は全身汗だくになりながら、寒い冬は冷たい水に手が切れそうになりながら、2週間ごとの週末に作業する。私が子どもだった頃に金魚を飼っていた時は、ガラスの金魚鉢だった。シンプルなものである。最近の金魚の生活は優雅になった。

というわけで、そんなに長生きしないのだろうなと思いながらせっせとお世話していたが、ハナコは意外と死ななかった。「いや、すごいな、すごいよ、ハナちゃんの生命力」とこももとともに目を見張る。やがてハナコの生命力の強さは、いつしか私の気力の励みにもなっていく。必ずしも快適な環境とはいえないだろう我が家の水槽で、健気に生きてくれているハナコに、だんだん情が湧いてくる。名前を呼ぶと、それがハナコにも伝わっているように見えてくる。

ハナコが病気のような様子を見せ始めたのは、ハナコがうちに来てもうすぐ4年になるという頃。こももが3年生の夏だった。ちょっと様子がおかしい。症状から病気の種類を調べたり、ペットショップで相談してお薬を買ってきたり手を尽くしたが、すぐにひっくり返って浮いてしまう。一時、元気を取り戻したかのように見えたが、また弱々しく動かなくなる。

--ハナちゃん、死んじゃうのかな?ねえ、死んじゃうのかな?

こももの声が胸に刺さる。

何とか生かしてあげられる方法があったんじゃないだろうか。お薬が違ったんじゃないだろうか。何が良くなかったのだろう。4年も生きたのだから、本当はもっともっと生きられたんじゃないだろうか。

そんなことを思いながら、ハナコの亡骸を近所の植え込みに埋めた。ハナコがこももとともに生きた4年間は、私とともに生きた4年間でもあった。これほど胸に残る4年間になるとは思わなかった。

ハナコ、本当にかわいかった。