君と歩いた道

2017年に公立中高一貫校に入学した娘は、2023年に大学生になりました。

一晩置いて

前回の記事を書いて、もしかしたら入学した公立中高一貫校の環境がこももには早かったのかもしれないと思った。そして一晩置いて、まあそういう面も無きにしも非ずだとしても、長い目で見たらどっちでもいいことかもしれないと思ったりして。だいたい両方経験して比べることができないのだから、今置かれている場所でできる経験をたくさん積んで、最大限に有意義に過ごす方法を模索することの方が現実的だ。

こももの将来を考えた時に、今は想像もつかないような厳しい苦労を背負うことだってあるかもしれないし(いやきっとある)、そういうことをイメージしてみると、今のこももの忙しさなんてまだまだ。

自分が子どもの頃に経験していた苦労(というほどのアレでもない)を、こももが経験する姿を想像できない。例えば、小学生の時に片道2時間近くかけてバスを乗り継いで遠距離通学していたとか、中高生の時には自分で弁当を作っていたとか、それをこももにやらせる度量が私にあるかというと謎。そういう親としての子どもに対する弱さが自分にあるのかもしれない。子どもだった自分はそれが当たり前だと思って難なくやっていたような気がすることでも、いざ我が子に同じことをやらせるとなると、できるのかなぁと二の足を踏む。私の母は強靭な精神の持ち主だった。まあやらねばならない状況に追い込まれれば誰だってやるのでしょう。

ぼやきの多い我が子だが、「言いたいだけなんだから言わせてよ」ということを、本人も言いながらだんだん自覚してきているようだ。ぼやきを聞く身にもなってくれと言いたくなる時もあるが、私にぼやいて発散しているとすれば、ある意味安心できることでもある。何とかしようと思いたくなる親の気持ちをぐっと抑えて、こももにとって空気のように存在できたらいいなと思う。

マンツーマンだからね。親子の関係が近くなりやすいのは否めない。子どもには好きなように発散させつつ、母も適当にガス抜きしつつ、と気楽に行きたいものである。