君と歩いた道

2017年に公立中高一貫校に入学した娘は、2023年に大学生になりました。

母の愚痴

前回の記事を書いて、適性検査当日のこももの様子を思い出したら、今のこもものだらけっぷりが目についてきた。公立中高一貫校に入学して半年、早くも母に後悔の念が疼き始めるのか。勘弁してほしい。

後悔というのは、子どもが物事に意欲的に取り組む場所は、子どもによって違うという意味で。受検前は、勉強させる学校だとかその学校なりの独自の特色が魅惑的に見えて引き寄せられるが、具体的に子どもにとってどうなのか。子どもは一人一人違う。勉強をさせる環境があっても、強制的にやらせないとやらない子はやらないし、放っといてもやる子はやる。学校は子どもたちをふるいにかけて、この放っといても自主的にやりつつ何が何でも食らいついてくる子たちを浮かび上がらせようとしているのかもしれない。すると逆に、勉強させるという学校のムードや、合格実績を上げたいという思惑に、引いてしまって冷めてしまう子もいる(私はこのタイプの高校生だった)。

だとしたら、自分が経験して何だかなと思ったことを、わざわざ我が子にまた経験させる自分の浅はかさに、問答無用に腹が立つというか情けないというか。

こももは、小学校では遊びも勉強もマイペースでやってきて、成績が上がると単純にうれしくて喜んで、コツコツと勝手に頑張る子だった。それこそ放っといてもやる子だった。一方では慎重で、失敗することを極端に怖れるあまり一歩を踏み出すまでに時間がかかる面もある。だから放っといても言われなくても最低限のことはやるのだが、本人がじっくり取り組みたいペースと学校で求められるペースとの間に開きがあって、自ら取り組んでいるはずの学習がやらされている感に陥っているように見える。

違うのだ。勉強は、やらされていると思ってやっても伸びない。自ら欲してやらないと。

優秀な結果を出す友達のことを、「○○は頭がいいから・・・」という大して深い意味のない軽い言葉で表現してしまう。何じゃそりゃと私は思う。○○も○○も○○も、頭がいいから優秀な結果を出しているわけじゃない。少なくとも、そんなふうに言っている時点で自分は伸びない。友達から良い刺激を受けるには、それを受け止める自分の土壌にかかっている。自分の受け止め方次第では、ただ通り過ぎて終わってしまうのだ。

もしかしたら、この環境はこももには早かったのかもしれない。そんな悪魔の囁きが耳元を過ぎる。

しかし、せっかく合格して入学したのだ。できることならいいとこ取りして前に進みたい。友達との関係も良好で、学校がいやなわけじゃない。そんなこももがよく口にする「忙しくて疲れる」ということ。そこを乗り越えるために必要なモチベーションとは。慣れるだけじゃない何か。自分のペースを作っていくということ?

この愚痴が、母の単なる妄想に過ぎないことを願って、今日はひとまず寝る。おやすみなさいなのだ。

バカボンのパパ風に・・・)