君と歩いた道

2017年に公立中高一貫校に入学した娘は、2023年に大学生になりました。

普通とは

世の中、自分のことを「普通」だと思っている人はたくさんいそうです。同じく「普通ではない」と思っている人も、実はたくさんいると思います。

「普通」だと思っている人は、自分は多数派(マジョリティ)だと思っていて、「普通ではない」と思っている人は、自分は少数派(マイノリティ)だと思っている。

一般的な印象ですが、自分のことを「普通」だと表現する人は「平凡」だと言いたいのかもしれないですね。どこにでもいそうなごくごく平凡なワタシ。もしくは、自分が「常識」だと思っている。そういうニュアンスで「普通」と言われているようです。

また、自分が「普通」や「多数派」、「正義」に属していると認識することで、無意識に安心を手に入れたいのかもしれません。

昔、「欽ドン!」というバラエティ番組から派生して「良い子悪い子普通の子」というフレーズが流行りました。良い子にも悪い子にも該当しない子が、みんなまとめて「普通」の子。その頃からか「普通」という言葉は権威を持ち始め、使い古されて、今ではその意味すら失って空虚な響きに聞こえます。

自分に照らして考えてみると、自分のことを「普通」と呼ぶのはおこがましく、恥ずかしい気がするのは私だけでしょうか。そういう意味では、私は「普通」じゃないのかな。

最近では、性的マイノリティについて公に話題に上るようになりました。そこで、私の性はどんなんだろうと考えてみました。

体は女性、恋愛対象は男性、ならば心は?

心が女性か男性か。考えてみると、私は本当に女性なんだろうか。

もし心が男性であったとしても、恋愛対象が男性であれば、社会的には「普通」なわけです。誰の目にも止まらない。

自分の知らないことはたくさんあって、知らない人の方が多い。自分の狭い常識で理解しようとして、周りを無理矢理枠にはめこんでいく行為が、誰かを傷つけることもあります。

一部の人だけではなく、すべての人が、ありのままの自分を自由に泳がせることができたら、それを受け入れる広い視野を持てたら、世界はもっと平和になれるのかもしれないです。

ちなみに娘の学校では、人種や民族、国籍、性的マイノリティ、障がいなどで差別的な見方をしない、一人一人の個性を尊重した個別の人間関係を育んでいける人になってほしいという教育理念を感じます。

そういう大人(校長や教員など)が身近にいる環境が保障されている学校に娘が入学できて、改めてありがたいと思います。