君と歩いた道

シングルマザーもものブログです。公立の中高一貫校に通う娘がいます。

先輩が学校をやめる

部活の某先輩が学校をやめるそうだ。そういえばしばらく部活にも来ていなかったし、学校にも来ていなかったらしいと娘は不安そうな顔をして言った。

詳しい事情はわからないが、私の脳裏に漠然と「不登校」の3文字が浮かんだ。学校の光と影。光の部分は表に出やすいが、影の部分については、学校のイメージを傷つけることを言わない方がいいというような暗黙の空気の中でもみ消されてしまう。一人一人の生徒あっての学校なのに。

受検して合格した子が入学してくる学校。6年後の卒業まで完走できずに外に出ていく生徒は学年によって差はあるが5〜10%程度いる。ともすれば、受検する前に学校が自分(我が子)に合っているかよく吟味して、と言われがちだが、多くはそんなことは当然だと思っていて、そのつもりで調べた上で入学する(させる)のだろうと思う。それでも、いざ入学して、実際に学校生活を送っていくうちに、不登校になることもあるし、やめることになってしまう子もいる。

情報収集と一口に言っても、公立中高一貫教育校に対して最初から良いイメージを持って調べようとすれば、良い面を裏づける情報に目が向きやすい。逆に、悪い面を裏づける情報を目にしても、賛否両論あるだろう、いくら厳しいと言っても許容範囲だろう、うちの子は大丈夫、という思い込みもあり得る。実際、具体的なことは入ってみないとわからない。だとすれば、例えば学校説明会などで、公立中高一貫教育校が生まれた当初の理念と、そこからの変化、それがもたらした影響かどうかはともかく実態として退学者は学年で◯◯人ほど出ている、それほど厳しい学校だからそのつもりでどうぞ、などとぶっちゃけ言ってみたら、希望に胸をふくらませて受検を志す親子でも思いとどまるだろうか。それでもなお、うちの子は大丈夫、と思うだろうか。

娘の公立中高一貫校受検を模索していた頃、小5の担任や小6の担任がそれに対して微妙な表情で言葉をためらう様子が印象的だった。「xxx(娘)さんだったら・・・大丈夫かな?大丈夫でしょう!」とか「xxx(娘)さんだったら、合っているかもしれないですね・・・」など奥歯に物のはさまったような反応が、なぜなんだろうと引っかかっていた。その「◯◯さんだったら」に込めた意味を振り返ると、そのときにははっきりとつかみきれなかったことが、今は少しわかるような気がする。小学校の先生は、公立中高一貫教育校への進学をあえて薦めない。なぜなら、それでつぶれてしまう子を見ているからだ。

娘は今のところ、毎日休まず学校に通っている。忙しく宿題に追われながら、部活もほぼ休まない。娘が頑張っているところにわざわざ水を差すことはしなくても、うまく息抜きや気分転換をさせてやるように、注意深く見ていく必要性を今まで以上に感じる。

仮に、頑張ったことが成績や結果になかなか結びつかないとしても、むやみに焦らなくていい。実を結ぶときは必ず来る。何らかの理由からもうダメだと思ったら、不登校だって退学だってどんと来いだ。そういうことだってある。生きていればいろんなことがある。それでも、どんなときも、私は娘の味方だ。それを忘れない。