君と歩いた道

2017年に公立中高一貫校に入学した娘は、2023年に大学生になりました。

キキと同じ13歳ですってよ

魔女の宅急便」は、こももが小さい時から何度となく観てきた。独り立ちの修業の旅に出る魔女のキキは13歳。今のこももと同じだ。ついに同い年になってしまった。

たまたま久しぶりに観て新鮮だったのは、キキが無邪気であどけなくて、13歳ってこんなにかわいらしかったっけ?と。こももが小さい時に観るのと、こももが13歳になって観るのとでは、自分が注目する部分も随分変わるもので、そんなところも興味深い。

こももは、私が思っていたよりも成長している。私が13歳だった頃よりも、無駄なく成長している。まだまだ子どもではあるのだけれど、年齢以上に大人びて見える。かといって、生きていく力がしっかり育っているかというと、それはあやしい。頭でっかちっていうのかな。

無駄を阻害する都会と不便な田舎、人混みの雑踏と手足を伸ばしてもぶつからない広い草原、今と昔、進化する前と後、開発が進む前と後、人が集中する場所と去っていく場所、など育つ環境の違いは、子どもの成長のあり方にも関わってくるような気がする。

だって、植物だって大きく育てるためには間引きするものね。狭いところでは大きく育たない。

情報が溢れた窮屈な場所で育つと、当然に大人びてくるものなのかな。人の密度が濃いと、すぐぶつかるから、周りに迷惑をかけないようにという感覚が強くなるのかな。子どものうちは周りに迷惑をかけて学ぶこともあるのだろうけれど、迷惑をかける前にストップをかけられる。大人が周りに気を遣うから。

我が子を育てる場所、我が家を据える場所だけを必死で選んでも、人は人と関わって生きていく生き物だから、全くの純粋培養というわけにはいかない。影響し合って混ざり合っていく。それが新たな可能性を生むという面もある。

どういう環境であれ、子どもは育つ。ありのままで生きていくことが難しくなっていく情報社会でも、大きく大きく育ってほしいという願いは変わらない。でも、小さく小さく育っても、愛情は変わらないんだけどね。

いつか私のもとを飛び立って、広いどこかへ自分探しの旅に出るこももを笑顔で見送れるように、伝えたいことは今のうちに伝えたいと思った。