君と歩いた道

2017年に公立中高一貫校に入学した娘は、2023年に大学生になりました。

入園して1ヶ月で入院

それは、娘が生後3ヶ月の頃。保育園に入園して1ヶ月。

勤務先にいる私の携帯に保育園から電話が入り、お熱があるのでお迎えに来てくださいと、主任の先生に少し強い口調で言われました。かかりつけの小児科に連れて行き、検査を受け医師から言われたのは、肺炎、水腎症による尿路感染症心室中隔欠損症、肺動脈狭窄など。たくさんのことをいっぺんに言われ、そのまま入院となりました。

理想を言うと、本当はまだ外出も避けたい月齢でした。生後6ヶ月くらいまでは、家にこもらせておきたかったです。それが、たった2ヶ月で保育園入園。娘に免疫がつくのを待たずに、動き出さなければなりませんでした。

お金のこと、仕事のこと、これからの生活のこと、娘の将来、考えたらキリがないけれど、それでもどうにかなるはずだと、育休を取れば良かったのか。いや、クビになっても取れば良かったのだと、何度も何度も自問自答して、後悔することを止められませんでした。

私のそんな葛藤とは裏腹に、娘はいたって無邪気でした。熱があっても、見た目は朗らかで元気。黙々とマイペースで遊びに没頭。そんな娘の姿は、かわいくもあり、申し訳なくもあり、その時の私にとって救いでもありました。

熱の原因は、肺炎と尿路感染ということで、2週間ほどで退院できました。心臓と腎臓は、退院後も経過観察が1歳半まで続きました。その後は都度様子を見ていくということで、手術などの治療は免れました。

0歳の冬には、水ぼうそう、インフルエンザAとBと順番にかかり、その影響でぜんそく性気管支炎、肺炎に。小学校に入学するまでに、インフルエンザから気管支炎へと長引くコースは毎年恒例のようになっていました。溶連菌は2回。肺炎で入院したのは3回。

入園してしばらくは、熱ばかり出して、月の半分も登園できていないこともありました。

今でも振り返ると、相当娘に無理をさせてきたのではないかと、悔やむ思いで胸が痛みます。当時はそれでも悔やんでいる余裕はなく、毎日が必死だったので結果的に乗り越えられてきたのかもしれません。

結果的に。

これは、考えようによってはとても怖いことです。それでも、そんな綱渡りのような生活を、娘には不安を感じさせず楽しく過ごすこと。いつか娘に、生まれてきて良かったと思えるような人生を歩んでほしい。暮らしを楽しんでほしい。それが私の使命だと、1人で娘を産んだ私の責任だと、くじけそうになる時は喝を入れて。

とにかく何としても、娘を元気に過ごさせてやりたかった。必死でした。