乳幼児期の娘は、注射を打たれる場面でも、あまり泣くことはありませんでした。それどころか、自分の腕に近づいてくる注射の針を、じーっと見ている子でした。たぶん、何が起こっているのかわかっていなかったのでしょうね。あるいは、得体の知れないものに対する恐怖よりも、(これは何だ?)という知欲の方が勝っていたのかもしれません。
生まれて間もない時、初乳を吸いながら私の目をじっと見つめる娘の瞳も、そんな感じでした。
(あなたは誰?何者?)
赤ちゃんの時間は、とても速く進んでいるのだろうと思います。見るもの聴くもの、感じるものの全てが、初めてのものばかり。同じ物事でも、大人が1感じるとすれば、赤ちゃんは10も20も100も感知する。究極の貪欲。
もう少し大きくなって、保育園や小学校で先生方によく言われるようになったのは、物事に取り組む時の集中力や意欲が目覚ましいということでした。母としては、言われることみんな褒め言葉と受け取れてしまうので、ご機嫌な気分にどっぷり浸ります。
この、集中力と意欲。
それは、生まれた時から娘を見てきて感じていたエネルギーでした。
きっと将来、娘の強みになる個性。良い方向に伸ばしてあげたいなと、成長に応じて私が思い浮かべられるだけの刺激を、娘の視界に何気なく入るように試みる乳幼児期でした。
すぐに飛び付くものもあれば、時間差で飛び付くものもあります。すぐに興味を示さなくても、興味がないと決めつけずに、しばらくそのままにしておく。娘がいつかそれを自分で見つけて、どう関わっていくのかを想像するのも、ひそやかな楽しみでした。
母といっても1人の人間。発想には限界があるので、できるだけ、本当にできるだけなんですが、とにかく閃いたタイミングを逃さないぞと、私は鼻息荒くアンテナを張り巡らせていました。