君と歩いた道

シングルマザーもものブログです。公立の中高一貫校に通う娘がいます。

経験することを楽しむ

中2の娘、口を開けば「つまらない」、「面倒くさい」と言って、文句ばかりです。

特に、学校の生活指導に対しては、上から指導されることに鬱憤を溜めているよう。学校で先生にわかりやすく反抗するわけではないのですが、自宅では不満を炸裂させています。

娘のみならず、生徒たちの結束が固い娘の学年は、そういう思いを共有しているようですが、先生に細かいことは伝えようとはしない。伝えようとしても、わかってくれないと諦めています。

中2ですからね。難しい年頃というのは、先生方も踏まえていて、そのうえで、社会に出たら理不尽な目に遭うことはいっぱいあるだろう、その中で「我慢する」、「辛抱する」という経験は、指導がかかる事柄以上に大切なトレーニングであるという考え。

といっても、それほど重大な「我慢」や「辛抱」ではなくて、今時の中学生に、せめて経験してほしいくらいのかわいいレベルです。子どもたちに、矛盾を感じさせるくらいの刺激を与えてくださっている学校には、親として頭が下がります。

先生だって、好き好んで悪者になりたいわけじゃない。子どもたちと仲良く楽しくアットホームに過ごせたら、どんなにうれしいかしれません。正論を振りかざしてくる思春期の子どもたちと、どう向き合うか日夜考えてくださっているのは、親の目から見るとよく解ります。

先生といってもいろんな先生がいますから、一概には言えないのでしょうけれど、親がそう言ってしまうと子どもたちは、自分たちの正論で先生方を「評価」するのが当然のようになってしまう。もちろん子どもたちの内輪でなら許容範囲なことでしょう。大人の粗探しをさせたら天下一品の年頃です。

難しいところです。

少なくとも、経験することを楽しむ、経験することが生きるうえで最大の強みになる、という意味で、何気ないことにも関心を持って過ごせたらいいのですけどね。

例えば、部活で◯◯の学校を訪問したとか、◯◯のバスに初めて乗ったとか、初めて見る風景とか、そんな日々の初めてを、たくさん見つけてほしい。どんな小さなことでも、興味を持ってほしいと思うのです。意識しないと、そういうところには目が向きませんから。

大人にも欠点は当然にあるのです。

大人と子どもは違うといったときに、その違いとはどういうことを意味するのか。それと対峙する季節が、思春期なのかもしれません。