君と歩いた道

2017年に公立中高一貫校に入学した娘は、2023年に大学生になりました。

わきの下にしこりがある

 先週末のこと。お風呂から出てきた娘が心配そうに言いました。

---わきの下にしこりがあるんだけど、

---乳がんだったらどうしよう。いや乳がんだ!きっと乳がんだ!(泣

 痛みは、触るとあると言います。

 

---少し様子を見て、大きさとか痛みに変化があったら病院に行こう。

と私が言うと娘は、

---そんなのんきなこと言って、手遅れになったらどうするの?

---こもも(娘)は死ぬんだ!!(泣

と言って聞きません。

 

 行かないとは言っていなくて、すぐに行くべきか、少し経過を見てから行くべきか、ぐるぐる考えながら、とにかく野生の勘が頼りです。

 こういう場合、何科に行けばいいのだろう。とりあえず、症状から受診する医療機関を調べました。それで、内科、乳腺科、皮膚科のどれかとしぼり、皮膚科だったら娘が小さいときから診てもらってきたクリニックが近くにあるので、さっそく週末明けにその皮膚科に行きました。

 先生は、子どもにはやさしい高齢の女医さんです。大人にはそんなにやさしくありません。少なくとも私には。最近は親の虐待で子どもが追い詰められる事案もありますから、注意深く見られているのかもしれません。ともあれ、子どもにはやさしいので、子どもと先生の会話を後ろで黙って聴いています。

 実は、こちらはこちらで、お医者さんの言動や様子を観察しているわけです。

 しこりに気づいたのは2日前、痛みは触るとある・・

 

---袋ができて、化膿しているのかな。

---抗生物質を1週間分出すから、飲んでね。そして1週間後、また見せに来て。

 

 そういえば私も何年か前に、背中にごろっとしたしこりができて、この先生に診てもらったことがありました。そのときは、すでに炎症を起こして痛みがひどかったので、どちらにしても痛いのだから今切ろう、ということになり麻酔も何もせず速攻で切られました。切る瞬間はもがき苦しむ痛みですが、切ってしまえば化膿しているものを取ってしまうので、痛みはすぐに消えました。

 粉瘤というものだったのですが、娘もこれなんだろうか・・

 先生の話を聴きながら、その可能性を先生は考えているのかなと思いました。

 

 しかし、娘のしこりは私のときと違って、皮膚の表面ではなく中の方にあるのですよね。これだと、そう簡単には切れなさそうだし、そんな中の方にできるということは乳腺に関係しているのでは・・という心配も消えません。

 10代で乳がんになるなんてあり得るのか、私には否定も肯定もできません。昨今の環境問題から考えたら、あり得ないことがあってもおかしくないと思ったりして、まさか・・・という心配も内心ありますが、少なくとも不安を感じている娘に、乳がんではないと信じさせてやりたい一心で皮膚科に行きました。娘は、お医者さんに診てもらって少し安心したようです。

 抗生剤を飲み切って痛みが消えたら、切るのかな、切れるのかな・・と思いながら、娘が怖がるといけないので、そっと薬を飲ませています。

 どうか、乳がんではありませんように。

初めてのドイツ語の授業

 学校から帰ってくるなり、娘が習いたてのドイツ語を声に出して発音し始めました。私も若い頃ドイツ語が大好きでした。そのドイツ語を、娘が口にするのを聴くというのは思いの外うれしく、娘に釣られるように私の口からドイツ語が出てきました。

 私は30年近くドイツ語から離れており、会話や文章を読んだりなど容易にできないのですが、初心者が覚える程度のドイツ語の発音は出てきます。すると娘は目を丸くして「なんで?」と言いました。私は娘に事あるごとにドイツ語推しを伝えてきたのに、娘はてんで覚えていないのですよね。

 ドイツ語独特の発音を一緒に声に出しながら、娘はドイツ語の教科書を見せてくれました。語学を始めるときのワクワクする感じが、教科書にあふれているようです。

 娘の学校では、希望者は第二外国語を選択できます。ドイツ語クラスの先生は日本人とドイツ人の2人で、クラスは15人ほど。ちょうどいい少人数クラスです。そういえば、高校で第二外国語の授業が受けられることは、受検を決めたときの物差しの一つでした。

 

 娘は思い出すように言いました。

---学研で英語をやっていたときも、こんなふうに楽しかったんだよね。

---今学校でやっている英語の勉強は全然楽しくないけど、(初めてドイツ語の授業を受けて)あのときの楽しかった気持ちを思い出したよ。

 

 娘は、小4の秋から小6の終わりまで学研教室で英語をやっていたのですが、そのときの先生が大好きで、当時は学研に行くのが楽しくてしょうがなかったのです。その先生は日本人ですが日本を出たことがなく、日本国内で身につけたとは思えないほど発音がきれいな女性の先生で、ガールズトークが弾む先生で、小学生女子の心を鷲づかみにしてくれたのでした。

 ドイツ語を通して、語学を学ぶ楽しさをもう一度思い出してくれたなら本望です。

 今回はネイティヴの先生もいますからね。ドイツ語を通して、ドイツ語圏の国々の暮らし、歴史、自然、食、音楽、文学、ゲーテのドイツ語、小さなものや古いものを大事にする文化・・と関心が広がっていったらいいなあと夢がふくらみます。

 そして、私もいずれドイツ語の勉強を再開したいと思っていましたが、そのときが近づいてきたことを感じてうれしくなりました。

『Pretender』の季節

 あれから1年だなーと思う曲。髭男の『Pretender』です。昨年5月頃からFMでしょっちゅう聴かれるようになり、6月に観に行った映画『コンフィデンスマンJP -ロマンス編-』のエンディングでまた聴きました。映画を観たときにはすでに耳で聴き尽くしていたせいか、映画作品と『Pretender』の世界観が直接結びつく感じはしませんでしたね。

 

 1年前は娘は中3で、初めての彼氏に全力で恋していたときでした。見ていて危なっかしかったけれど、ただ見ていることしかできませんでした。泣いたり笑ったり大忙しの娘を見ているのは、正直辛かったですね。

 しばらくして、娘の運命の恋は儚く終わってしまいます。始まれば終わりが来るものだとしても、真っ只中にいるときは「ずっと、ずっと」と思っているわけで、うまく行かずにだんだん終わりが近づいてくるというのは、なかなかよくわからないというか、娘にとっては苦しいときでした。

 終わる恋とか、ハートブレイクとか、まだ幼い娘が経験したことは、きっと娘の未来にとって良いことだったのだろうと受け止めようとして、親目線の切ない気持ちをやり過ごしていました。娘はあれからずいぶん回復したのですが、まだ引きずってはいるようで、完全昇華までは時間がかかりそうです。

 

 最近の、特に休校期間を過ごした私の実家から帰ってきてからの娘は、笑顔に活気が出てきている気がするので、実家での時間はそういう意味でも気分転換になっているのかなと思われます。

 娘の人生、まだ始まったばかりですからね。これからも、何度も、辛い思いをすることがあるかもしれないけれど、いつも応援しているから、娘なりに納得を重ねながら、たくましく乗り越えるんだよーとひそかに祈っています。

 そしてもしかしたら、娘の恋話をこのときほど聴いたのは、私にとって最初で最後なのかもしれません。娘、だんだん大人になっていきますから。いつか笑って話せる日が来るのでしょうね。

空白ばかりの年間予定表

 先日ようやく、娘の学校で今年度の年間予定表が配布されました。例年だと最初の保護者会で配布される年度のスケジュールですが、すでに6月も下旬です。7月が目前まで迫っている。そこにあるのは、臨時休校や感染防止対策で修正を入れた後の、例年とは明らかに違う年間予定です。

 年度前半は、入るはずだった行事という行事がことごとく消えて空白ばかりです。体育祭も、文化祭も、何もかもできないだろうとは思っていたものの、暗黙に中止を突きつけられて言葉を失いました。

 いくら学校が再開しても、感染防止でできないことだらけですから、遅れている履修カリキュラムを進めることに専念するしかないような、めいっぱいの終日授業になりそうです。修学旅行など、何としても中止は避けたい行事は、年度終盤ギリギリにねじ込まれています。

 

 それで、ふと浮かんだ疑問。これで本当に、来年3月末までに年度が終わるのだろうか。

 学習に関しては、今までは行事に部活に忙しい学校生活で、限られた時間の中から頭をつかって時間をひねり出し勉強する方が、ただ勉強だけしているより集中力が研ぎ澄まされて学力が伸びるというのが学校の方針でした。それがしばらく通用しなくなり、代わりに考えられるのは、今できることをやるという考え方。

 実践できたら最強ですが、それができる生徒はほんの一握りなのでしょう。学校の存在意義は、それができないその他大勢の底上げのためにあるのでしょうし。

 娘の場合は、忙しくても暇でもあまり動じないというか、いたってマイペースなんですよね。取り立てて悲観的ではないけれど、プレッシャーだけは人一倍で、そのくせ学校側の作戦なんてどこ吹く風。相変わらずまったりとした亀の歩みなので、口を出さないで見ているのは本当に難しいです。

 

 呆気なく萎んでしまった話ではありますが、少なくとも今年度の教育関係の年度末を来年8月末に遅らせて、来年度からみんなそろって9月スタートじゃダメなの?とまだ思いますね。今年度だけ、年度期間を1年5か月に延長するわけです。

 休校期間の学費についてはあまり話題に上りませんが、仮に戻らないとすればそれを延長する5か月に充てて、延長期間の実費が新たに発生するならそこは請求するようにするのはどうでしょうか。

 そしたら、空白の期間にできなかった学校行事を1年後にずらして実施できるようになり、そうすると一応年度内の実施が可能になります。卒業学年は、最後の行事を諦めなくてもよくなるかもしれません。

あじさい寺と父の記憶

 雨に濡れる紫陽花は、発色が輝くようにきれいですよね。先日、娘と一緒に観に行ってきました。考えてみたら、紫陽花の季節にあじさい寺に行ったことが今まであったかどうか、記憶は頼りなく、今の年頃の娘と行きたいなと少し前から思っていました。

 探したのは、ごくごく近場で、そんなに人がいなさそうな、地元でそこそこ知られるあじさい寺。あるいは神社か公園かと探し、結局お寺に決めました。

 行ってみると、お寺の周辺や敷地内は、何度かすれ違う程度のまばらな人出で、気ままにのびのびと歩けました。紫陽花はもう一咲きして、枯れている花や葉もありましたが、これから咲く蕾も頼もしくたくさん伸びていました。薄いピンクや紫色、蒼色の花が多かったです。抜けるような濃い蒼色の花は、なかなか見つかりませんでした。

 暑さや湿気はそれほどでもなく、散歩には打ってつけの午前中でした。親子でそれぞれ撮りたいものを撮って、私は娘の写真の出来栄えに感心するやら驚くやら。

 

 そういえば、紫陽花は父が好きな花だったと母から聞いたことがあります。6月は母の誕生月なんですよね。

 私は父と幼少の頃に生き別れていましたが、父の後妻さんから危篤の報を受けて、亡くなる直前に40年ぶりに再会しました。父は話ができる状態ではなかったけれど、話しかけると目を合わせたり、頷いたりはしていました。聞きたいことはたくさんあったけれど聞けないまま、それでも最期に会えて良かった。

 幼い頃の私が知る父は、家族が大好きで、おしゃべりで、家によく友達や後輩を連れてくる明るい人でした。母との別れは、一生の不覚だったのだろうなと思われます。後妻さんと再婚してからの父は、家庭では寡黙な人だったそうです。話を聞く限り別人のようです。

 母は母で、父と結婚してからの写真は私たちが一緒に写っているものまですべて処分しながら、結婚前の父との写真はすべて大事に取ってあります。離婚は自分のわがままとしか言わないので、真相は藪の中です。

 

 来年はもう少し足を延ばして、実家の最寄りのあじさい寺くらいまで行きたいものですが・・

 果たして1年後の新型コロナウィルスは、どんな状況になっているでしょう。相変わらず自分の感染の有無すらわからないまま、行動変容だけはすっかり板についているでしょうか。