君と歩いた道

2017年に公立中高一貫校に入学した娘は、2023年に大学生になりました。

今年度のゆくえ

 zoomを使った双方向オンライン授業がスタートして1か月余り。休校期間中は実家で私の弟のPCを借り、自宅に戻ってから分散登校中はiPadを使い、ほぼ順調に参加できているようです。

 とはいえ娘は、zoom大好きというわけではないですね。zoomは自分がどアップで映るのがいや!!!と言っています。まあ気持ちとしてはわからなくもありません。よく知らないクラスメイトとzoomで初対面となると、多少なりとも緊張するかもしれません。

 また、在宅学習日の時間割のうち、zoom授業はごく一部で、それ以外は授業動画の視聴と課題に取り組むというシナリオですが、そのとおりに進んでいるのかどうかはグレーです。やらないとあとで自分が困ることになるから、自分で考えて進めているのであろうと、あえて口は出しません。

 登校日は、午前と午後にクラスを分けての分散登校で、半日登校すると残りの半日は自習ということになっていますが、その半日が授業中という認識はどうも娘にはなさそうです。

 

 ところで、休校期間中に新年度が始まり、オンライン学習を導入し、学校が再開され分散登校が始まり、という現在までの経過ですが、その間、公式文書以外に新しいクラス担任の先生から保護者宛にお手紙とか、メールが来たりとかは一度もないのですよね。

 中学から高校に進級したので、通常であれば生徒の成長に応じて(成長を促すためにも)、先生の関わり方が子ども扱いから、少し大人になって対等になるという変化を感じることはあるだろうなと思うのです。私自身も、高校に進学して中学とのギャップに驚いたことがありましたから。通常なら、いちいち保護者に連絡は来ないのでしょう。

 けれど、この状況は通常ではないですよね。大人とか子どもとか、高校生とか中学生とかの指導のあり方に関わらず、新年度のクラス替えや担任が変わるタイミングが休校期間中であれば、書面でもメールでも「◯組の担任になりました◯◯です」というような挨拶を一言でもいただけたら、感染拡大の不安の中でも新年度が始まったんだな、という区切りが少なからず感じられるのになと。学校でメールを活用していないわけではないですし。

 学校と企業や仕事では必ずしも同じようには考えられないとしても、人間関係は対面ばかりではないのはもともとなわけで、そういう場面では着任の挨拶とか自己紹介とかを書面なりメールでしますよね。少なくとも仕事ではするかな。

 それが何もないまま、ひたすら子どもから情報を探るばかりで、どーなってるのかな・・と状況把握は保護者の想像力頼みでこのまま行くのでしょうか。むろん、疑問があれば電話して聞くのですが、その前に挨拶を交わすことなく3か月が終わろうとしているのがもやもやします。

 

 こういう雲をつかむような状況の中で、娘が宿題や課題だけやっているとしたら、学習時間も学力も不足するのはわかりきっているし、本来学校に期待しなければならない範囲を塾などに頼る必要が出てくるとしたら、善し悪しはともかく具体的に動かないと・・という焦りがむくむくと顔を出してきます。

 娘が自分でどんどん進めていく優等生だったら、こんな心配は不要かもしれません。また、学校が暇つぶしの場と親が割り切れれば、こんなふうには考えないでしょう。暇つぶしに学校に行けたら、暇つぶしに勉強できたら、本当に気がラクです。

 しかし、少なくとも大学受験、国公立大学受験に向けた取り組みは学校で充分に網羅できるという方針を親目線では信頼して、受検して入学した学校です。生徒に勉強を強制するのではなく、勉強したくなる雰囲気や好奇心を喚起する環境を期待していました。過去形に特に意図はありません。

 

 入学して3年余りが経ち、ほかの学年の様子がだんだんと見えてくると、娘の学年は校内で毛色が違う独特さがありながら、それなりにいい学年だな、と改めて思います。

 娘の学年の良さは、どんな子にも居場所がありそうな、気持ちに余裕がある点。マウンティングとかスクールカーストとか皆無ではないとしても、そういうムードに流されない。気の良い子たちがたまたま集まった。しかしそれは見方を変えれば、先生が扱いやすい従順な子たちではないということです。

 この学年として、そのひとりとして、だからこそ誇りを持って勉強も貪欲に頑張ってくれないかな、と娘には望むところなのです。

 初め良ければ終わり良し、終わり良ければすべて良し、というのは、物事の始まりや終わりに振り返りを促す諺ですが、始まりがぼやーっとしてしまっているので、改めて意識したいなと思う今日この頃ですね。

学校再開とソーシャルディスタンス

 ただいま6月第1週です。修了式と始業式は出ましたが、実質3か月ぶりの学校再開。最初は分散登校で、娘も先週から学校に行っています。感染が出るだろうことは前提で、それをできるだけ拡げないように、それぞれが感染しないように気をつけながら、という始動なのだと受け止めています。

 娘は、1日数時間の授業のためにはるばる学校に行きたくないと言っています。行きたくないと言いながら登校日には出かけていくのですから、偉いと思います。

 新しい学校生活のリズムができあがるまでには、どれくらいかかるのかな。予防上慣れは怖いけれど、一日一日の状況の変化を見ながら過ごす毎日で気が張っているので、何だか無性に叫びたくなります。「あーーーーー」とかね。この緊張感、あまり意識しすぎないでやり過ごしたいものです。

 

 娘は高校生になったので、学校にスマホを持っていくことが解禁されました。それでも今までだったら、ルールの緩和に関わらず人と一緒にいるときはマナーとしてスマホはしまっておくこと、と根気よく話してきましたが、ソーシャルディスタンスを保ちつつ声を出すことがはばかられるとなると・・

 一緒にいながらにしてLINEでトークみたいなことになったりして、と娘が涼しげに言いました。確かに、と私は納得してしまい、お互いに乾いた笑いを交わすという。あながち冗談ではすまなさそうですね。

 ちなみに娘の周りでは、フェイスシールドを装着している先生や生徒は今のところ見られないようです。一応我が家では学校再開に向けて個人的に購入していたのですが、娘は試しに装着したきり実用には至っていません。私も職場に持っていって装着してみたのですが、曇って視界が悪くなってしまうので現実的に使えておらず、いざというときのお守りになっています。

 

 私の仕事関係と娘の学校生活で、移動経路や行動範囲を対比してみると、晒されている感染リスクは娘の置かれている状況の方が高いといえます。学校が再開した以上、感染が顕在化してくるのは自然なことではないかとも思われます。

 自分が現時点で感染しているのかしていないのか、していないとしたら感染しないでどこまで行けるのか、感染しないままどこまでも行けるとは考えにくい、いつか感染すると思いながら予防してそれを遅らせるしかないというのもきっついでしょう、など漠然とした疑問が常に浮遊していますが・・

 もーとにかくね、何かしら体調に変化や症状が現れたら慌てないで動けるように、落ち着いた心持ちでいましょう。何はともあれ、今日も元気に換気タイムです。

苦しいときの寅さん頼み

 苦しいときこそ、笑うことを求めているような気がします。気分が切り替わるスイッチがあるとすれば、それは笑うことではないかと。笑うことによって、重く立ち込めていた靄が急に晴れてくる、そんなふうに感じることがあります。ひとりでいるときは尚更です。

 まず、鏡の中の自分に笑いかけ、鏡に映った自分の顔を観察しながら、笑顔の研究をします。面白いことを想像して思わず笑ってしまう自分の笑顔をもとに、今度は面白いことを想像しないでその笑顔を再現してみたりします。次に、無意識でも口角を上げていられるように意識したり、声を出して笑ってみたり、それぞれの笑顔の違いを探したりします。

 こうした一連の作業を通して、自分の笑顔を見るのは、図らずも下がった気分を上げるのに有効なのだなと気づきました。

 

 この3か月を振り返ると、私の場合は外出自粛のストレスより、感染拡大のさなかに通常勤務を継続させる不安の方が圧倒的に大きく、人と人との感染防止の意識の差や、それに伴う周りに対する労いなど、共有できたりできなかったりで、とても苦しかったです。

 結局、自分さえ良ければいいという諦めへ向かいがちになるのですが、いやいや、ウィルスは自分だけ特別扱いしてくれるわけではないから、やっぱり組織的に予防を共有できるように辛抱強く働きかけていかなければ、回り回って自分や家族をも守れないのだろうから・・という堂々巡り。いってこいの繰り返し。

 人と接触する仕事だからこそ、お客様、社員とその家族に対する安全と安心を少しでも守りたい、自主的に休業する同業他社が多い中で営業を続けるからには、そういうメッセージや取り組みがトップには、仮にパフォーマンスだとしても必要な状況だっただろうと思いますが、私は社長ではありません。給与減額や解雇に怯える一社員です。それでも、社長の周りをうるさく飛び回るハエのように、動かない社長の心を動かす言葉を探し、言いたいことが十あったら九は抑えても、一は言わずにはいられないという場面がたくさんありました。

 そういうことはこの緊急事態に限った話ではなく、常に背中合わせであることなのですが、特にこの状況で社会的にも浮き彫りになったということだと思います。

 

 今年のゴールデンウィークはステイホーム週間と呼ばれ、おうちにいようと叫ばれていました。もしそう叫ばれていなかったとしても、仕事以外は家にいたと思いますが、手持ち無沙汰になったときのためにと寅さんのDVDを10枚借りました。観られなくても観たいときにいつでも観られるように。

 実は最初は、大林宣彦監督の作品を探したのです。個人的に追悼のタイミングでした。しかし同じことを考える人は少なくないわけで貸出中ばかり。いろいろな作品を10枚ではなく、同じ監督の作品を通して観たかったので、気楽に観られて好きな作品、ということで寅さんに行き着きました。

 それでまあ唐突に結論に至るのですが、寅さんを観て寅さんのおかしみに笑わされているうちにハッとしたというか、笑うことを思い出したのでした。笑うことで新しい力が湧いてくる瞬間を、身をもって体験したのです。そして、自分が言いたいことすべてを言い尽くさないことで、周りの人が考えを口にする余地を増やすということ。これは実感としての再発見でした。

 ちなみに、このとき借りたのはシリーズ第30作〜第39作で、返却後まもなく第1作〜第10作を借りました。第1作は1969年公開で、百円札が登場していました。

新しい日常に向けて

 緊急事態宣言が解除されてみたら、2週間ごとに段階的な制限緩和と言われていたのとはちょっと違う雲行き。2週間どころか1日で次のステップに進んでいます。あれよあれよと緩和されていきそうで、一か八かのような流れに不安を感じます。

 営業をこれ以上制限するのが限界だった事業者にとって、1日も早い再開が待たれていたとは思うのですが、人出が一気に増えて動き出しているところへ一歩を踏み出していくからには、より一層注意して行動することが必要になってきますね。

 

  • 学校再開

 娘の学校再開までの道筋が少しずつ見えてきました。それでも、電車バス通学での人混みや、校内では教職員や生徒同士の間でソーシャルディスタンスがどこまで担保されるのかなど、心配は尽きません。まずは分散登校と在宅でのオンライン学習を併用しながら学校生活を再開させ、その後状況を見つつ段階的に登校日を増やし、学校での授業時間を増やし、というところでしょうか。

 社会でも学校でも、人間がやることに完璧はないわけで・・なんて言ったら身も蓋もなく、どん詰まりで情けない心持ちになってきてしまうのですが、娘の感染防止に対する意識は高い方だと思われるので、意識だけではなく正しい手洗いを実践してくれることを信じて送り出すことにします。

 

  • 休校期間中の生活

 まさか3か月も過ごすことになるとは思いも寄りませんでしたが、娘が私の実家で過ごした毎日は、朝は6時前には起こされて朝風呂に入り、食膳はみんなで一緒に囲み、食後は食器洗いを担わせてもらうなど、家族の一員として規則正しい生活を送らせてもらいました。

 外出自粛で運動不足ではあったけれど、早寝早起きをしっかり続けてこられたのはありがたいです。日中私が不在の自宅では、こうは行かなかったと思います。事件や事故に巻き込まれることなく過ごせたことに、何より感謝です。

 それなので、学校が始まったら最初は疲れが出やすくても、徐々にリズムをつかんでいけるのではないかなと見ています。

 

  • オンライン授業

 双方向オンラインで授業に参加できるようになり2週間、動画視聴と抱き合わせで時間割に基づき過ごしてきました。慣れてきたせいか、娘「もう学校に行かなくてもいいじゃん!」なんて曰うていますが、双方向オンラインがすべての授業に適うとは限らない以上、在宅で学校生活のリズムを作るには限界があります。

 それに、身だしなみは上半身さえ整えれば授業を受けられるというのは、便利なようでどうなんでしょう。少なくとも娘は、上半身だけ制服に着替える、なんてことも考えないようですから、楽な方に楽な方にいくらでも飛んで行きそうです。

 

 休校期間中に高校生になり、娘スマホの利用時間の制限を1日1時間から2時間に増やしていたのですが(実際の使用時間は3〜4時間ほど)、Wi-Fiが使えなかったのでほとんど使い物にならなかったようです。

 自宅に戻ってから、双方向の授業や動画視聴で使うiPadは6〜18時、スマホは6〜21時の間で利用時間の制限をはずしました。娘うれしそうです。浮かれようは誰が見ても明らか。今のうちに浮かれておいてもらった方がいいかな・・という目論見もないことはないです。いずれは自分で管理してもらうしかありませんからね。

 

  • まとめ

 というわけで、今後も手洗いと消毒を地道に継続しつつ、一方で生き物としての遺伝子頼み(運命)という面も、実は内心受け入れています。地球の一部として考えたらそういうことだよな、と思うのです。

新しい学校生活と部活の今後を考えてみた

 緊急事態宣言の解除と学校生活の再開に際して、クリアにしたいこと。

 一つは、必要な人が医療機関にかかることができて、もれなく検査と治療を受けられる体制がどの程度進んだのか。どの程度進むのか。感染が拡大する前から検査と医療現場の整備が必要だと言われていたのに、ボーッとしながらあわあわと感染拡大させてしまい、個人の自粛頼みで何とか抑えて迎えた現状。目標を達成するには程遠いけれど、それを今後は達成できるのか。今までできなかったことを、これからは絶対できるのか。その根拠を示してほしい。

 それから、確認されていない感染者数を考慮すると実際の感染者数は○倍、というのを前提にしなければならないという想定が、流行の兆しを見た時点なら止むを得ないと思うけれど、現時点でそれが当然のようにまかり通っていくようであることが引っかかる。自分が無症状感染者かもしれない、だから感染させないようにという意識を拡めるためとはいえ、それを王道にするのは違うのではないか。

 この状況で、自粛は緩和され、子どもたちは登校を再開していくことになります。

 

 各自治体で、学校生活を再開するにあたりガイドラインを作成しています。それを現場で実際に落とし込んでいく作業があります。報道では、各地、各校でいろいろなことが試され、娘の学校でも採用してほしいアイデアを実践しているところがあることを知らしめてくれています。

 一方で、学校の対策に不備がないとは言い切れない部分もあります。人がやっていることですから。

 余分な教室があるようには見えません。また、学校が再開されても、部活の再開は同時進行にはいかないと思われます。ソーシャルディスタンスを保ちながら、学校生活を送ろうとするとどういうふうになるのか、以下は私なりに考えた仮説です。

 

  • 教室の利用人数

 通常は1クラス40人で、教室も小さいので、机と前の席の椅子は密着、机と机の左右の距離は目視で30〜40cmほどです。机の横のフックに荷物を下げて通路を塞いでいるので、それを跨いで移動していました。仮にこの教室を20人で利用するためには、教室を少なくとも倍用意することになります。教科専用の教室や視聴覚教室、会議室などを充てて教室の整備が必要になってきます。しかし、2m間隔を開けるためには20人でも多いです。

 

  • 教室の移動

 校内での移動、教科による教室の移動は、極力減らすことになるのでしょうか。移動する場合は一斉ではなく、10人ずつ時差移動にしたりとか。今まで当然のように善しとされてきた一斉という概念が、今後は分散・時差に置き換えられるようになるかもしれませんね。

 

  • フェイスシールドの使用

 全員フェイスシールドを使用するのはどうでしょう。これができたら、後ろを向いたり横を向いたりに神経をつかうことが、多少緩和されるでしょうか。むろん、使用上の洗浄や消毒は、先生も生徒も各自がする必要がありますが、授業で声を出しながら感染防止するためには有効とも思われます。

 机や教壇の周りにビニールシートを張ったり透明なパーテーションで囲んだりするよりはフェイスシールドの方が、まだ利便性はありそうです。

 

  • 窓の開放

 窓は開放したいけれど、暑い夏に冷房を入れながら開放すると電気を余計に消費してしまうし、冷やす効果も見込めない。いっそ社会全体で一斉にエアコンの利用を止めて、扇風機を使うようにするとか。一斉にエアコンを使わなくなれば、温暖化の抑制にも貢献することになり、扇風機でも堪えられる暑さになりませんかね。

 こればかりは一斉にやらないと効果がないでしょう。一部の人がやって熱中症が増えるだけでは元も子もないですから、個人ではなく社会全体で暑さに適応する体づくりを志向する。あくまでも熱中症を予防しつつです。

 汗をかいても不快に感じにくい衣服などで、仕事でも学校でも体温を調節できたらいいなと思います。そのくらい柔軟に対応したいですよね。

 

  • 教科ごとに考えてみると

 問題を解いたり問題集で演習を積んだりするだけが勉強ではなく、他者がどう考えるかを知り、他者とどう関わるかを体験し、他者と話し合ったり他者の行動から刺激を受けたりするのが学校なのだと思います。

 例えば、数学はひとりで勉強しやすい教科かもしれないけれど、その数学だって友達が考えた解法を、友達の説明を聴きながら知ることに意味があるし、そこに感動が生まれることもあります。そう考えると、自学で完結する教科なんてどこにもないのかもしれません。そもそも学校ってそういう場所なんですよね。

 体育だったら、これまでやってきたスポーツすべてを今後はできるとは限らない。感染防止しながらできるスポーツに限定されるようになるのかもしれません。

 合唱はどうなるでしょうか。娘は歌うのが大好きなので、歌えないのは相当辛いことだと思いますが、高校生でいられる間に歌えるようになったらまだいいのかな。口惜しい思いをするかもしれません。

 いずれにしても、双方向のオンライン授業を要所要所で取り入れながら、学校生活を再開させていくことになるのでしょうか。

 

  • 部活はどうなる

 まず、運動部と文化部で分けて考えてみましたが、文化部と一口に言っても競技がある部活の場合は運動部に近いですし、ひとりでコツコツできる部活なら再開できるかもしれません。一概には言えないのですよね。

 運動部の場合は、声とともに息、唾液、汗を発するスポーツでも、人と人が接触しないなら再開は可能かもしれません。接触が免れないスポーツの場合は、再開まで長引きそうな気がします。学校が再開されても、部活の再開には慎重にならざるを得ないと思います。

 

 まだ考えが及びません。全校集会は最初は放送で、段階的に校庭、体育館と利用するようになっていくとしても、少なくとも今年度は放送でとなっても止むを得ないと思われます。

 行事については、これまでの行事を振り返ると三密を避けるのは難しそうですが、三密を避けながらできることを模索するようになるのでしょうか。今年は諸々中止になっていますので、来年は制限を緩和してできるかどうか。

 

 学校再開が待ち遠しいというのは、本当にそのとおりなんですが、どういう状況になるとしても行動変容は間違いなく必要になり、今までできていたことができなくなることはたくさんありそうです。ウィルスはウィルス以上のものではなく、これまでも、これからも共生していくもの。長い目で見ながら、冷静に乗り越えていきたいです。