君と歩いた道

2017年に公立中高一貫校に入学した娘は、2023年に大学生になりました。

最後の席替え

今回の席替えは、学年最後の席替えになるらしい。年度末まで席替えがない。席替えがない3ヶ月は長い。子どもたちの悲喜こもごもの声が聞こえてきそうだ。

娘にしても、「xxx(娘)のクラスはみんな仲が良い!」なんて言って殊更にクラスの団結力、結束力をアピールしたがるが、その日その日で吐露してくることをそれとなく聞いていると、複雑な心情が絡み合う人間模様がないことはないようで興味深い。

◯◯と◯◯が一緒にいるとうるさい。その2人に挟まれると逃げ場がない。◯◯とは近くになることが多いが実は離れたい。◯◯は何となく言うことが意地悪な感じがして怖い(小学校でいじめっこだったらしいというまことしやかな噂も)。おとなしい◯◯は席が近くなったことはないが、教室の端から端まで自分から話しかけていくので意外とよく話している。席が近くなりたいのになかなか近くになれない仲良しの◯◯は、また席が離れてしまったことを泣いて口惜しがってくれた。etc

心の中で良くも悪くも抱いている人間関係にまつわる微妙な感情。相手とのちょうど良い距離感を探り合う意識。それは、誰かから教わってそのとおりに行動するというものではない。自分と周りの人、たくさんの人との関わりの中で、子どもがじかに体得していくものだ。

思えば小学生のときは小規模校で、学年1〜2クラスのほとんどクラス替えがないような限られた世界だった。入学した当初、枠を決めずに誰とでも友達になろうとする娘は、同じ幼稚園グループで壁を作る子たちの言動に弾き飛ばされていやな思いをすることもあったが、4年生になり学童を卒業した頃から、同級生との関係が活性化していく。高学年になる頃には、子どもたちの人間関係は固定して動きようがない。譲り合いぶつかりようがない距離感に落ち着いてくる。

そんな中で娘は、中学校に行って新しい友達と出会えることを楽しみにしていた。家族のようにアットホームな小学校の友達とも別れたくないが、小学校よりも広い世界の中学校で新しい友達もほしい。

子どもは親の知らない間に大人になっていく。教えてもいないのに、ひとりでに成長していく。親はただ、生き物としてのナマの子どもの成長に驚かされることばかりだ。