君と歩いた道

2017年に公立中高一貫校に入学した娘は、2023年に大学生になりました。

新しいバッグの効能

 新しいバッグを買いました。

 90年代に縦長ボックスタイプのバケツトートバッグが出現してから、流行が過ぎ去ってもこのカタチのバッグが好きです。

 流行の最中にいるときは、多くのブランドメーカーがバケツトートを出していましたが、今は売られているのをあまり見かけません。だから、私のお眼鏡にかなうカタチのバッグを奇跡的に見つけた以上は、衝動に頼っても買った方が得策です。

 気になるお値段は、かつての流行の高級ブランドものに比べたら激安ですが、最近の自分の金銭感覚ではそこそこの出費です。

 

 新しいバッグを買って、荷物を入れてみると、わりとジャストサイズな収納ぶり。ただ、財布や鍵の出し入れで手間取るほどには余裕がありません。重さもある。

 そこで、毎日持ち歩くものを減らしたくなりました。私は、急な用事を昼休みや会社帰りのついでに済ませたいため、最低限の荷物が多くなりがちなのです。

 減らし始めると、結構減らせるものです。

 まず、財布を選手交代。小さくてほとんど使わずにしまってあった二つ折り財布を出してきて久しぶりに目にすると、毎日使うカードだけ収納するならこれで行けると思いました。小銭は持ち歩かずに、コインケースに入れて自宅に置いておきます。

 いつも使うわけではないけれどたまに使うポイントカード類は、財布とは別に収納しバッグに入れておく。使わないけれど保管が必要なカードは、自宅に置いておく。

 これだけでも財布や鍵の出し入れが目覚ましくスムーズになりました。また、今まで出番がなく眠らせていたこの二つ折り財布の、ポケットにストンと入るコンパクトさと軽さが新鮮で、感動が冷めやらないです。

 

 荷物を減らし使い勝手を良くするだけで、気分も大きく変わりますね。荷物が軽いって素晴らしい。新しいバッグとの出会いは、私の生活に思わぬ気づきをもたらしてくれました。

 いよいよ寒い冬の到来です。この冬は、軽い荷物で気持ちも軽やかに過ごしたいです。

冬が来る前に

 11月になりましたね。今年も残すところ2か月足らずです。コロナコロナで来てしまいましたが、やり残したことはなかったかな・・と振り返ったら、たくさん湧いて出てきそうです。整理して、これだけは!というところから手をつけていきたいです。

 ともあれ、おかげさまで、娘も私も元気です。それだけでも、今年を生きた意味は大きいかもしれません。

 

 最近、何だか気分が変わったように感じます。私は被雇用者としてずっと働いてきて、お金を担保するためのフルタイムワークから解放される日が待ち遠しくてしょうがないため、娘の大学卒業まであと⚪︎年、私の年金受給まであと⚪︎年・・と指折り数える日々が長いこと続いておりました。

 しかし、そんなふうに、あとどれだけ働き続けられるのかと考えることに、このコロナ禍において限界を感じてしまい、辛過ぎて堪えられなくなった。

 かけがえのない人生、子どもの成長は何よりも楽しみであるはずなのに、もったいない過ごし方に心を奪われてしまっているのです。それが残念であることはわかっているものですから、意識しないようにはしていましたが、ここに来てできなくなった。もう無理だと思いました。

 かといって投げ出すわけにも行きません。そこで、今日のこと、明日のことに意識を集中することにしました。

 

 何が起こるかわからないということは、不安な面がある一方で、楽しみなことでもあります。当たり前なことのようですが、子どもが自立するまでは路頭に迷うわけにはいかないと先読みをしてばかりで、その楽しみに目が向いていませんでした。

 完璧にできなくても、なんちゃってみたいなことしかできなくても、やるしかない。何でもいい。やればいい。苦手だと思って尻込みしていたことでも、やり方を変えればできたりする。

 そうして一日一日を過ごしていくと、気分が変わってきたのです。できなかったらどうしようと考えることが減っていきました。

 朝を迎えて、窓を開けて、新鮮な空気を吸う。一日が始まって、会社に行って、何をやるのか。やることは、心配しなくても後から後から生まれてくるのです。何が起こるかわからないというのは、実はわくわくすることでした。

 

 知人が突然死した年齢が近づくにつれ、自分はいつまで生きられるのかという思いが常にありました。娘はまだ高校生、まだここでストップすることはできない。けれど、そういう場面がいつ来てもいいように、一つ一つ準備して生きていこうと思えるようになりました。

 もし私が早死にしたら娘は悲しむでしょうけれど、胸いっぱいの愛情を残して行けるように、娘がさびしくないように、乗り越えられるように、娘が生きる力を支えていきたいのです。

山梨を旅する

 GoToトラベルを利用して、娘と山梨へ行ってきました。富士急ハイランドや河口湖付近には来たことがありましたが、旅行で山梨に来たのは初めてです。甲府にも初めて入りました。とても良い旅になりました。

 

1日目 御坂峠 天下茶屋

 河口湖から天下茶屋へのバスが運休だったためタクシーで移動しました。太宰治がお見合いの前に井伏鱒二を訪ねて滞在した場所、『富嶽百景』の舞台として知られています。「富士には月見草がよく似合ふ」という一節も有名です。この地で太宰が希望を見つけたのだとすれば、そのとき太宰の視界に映った風景を一度この目で見てみたいと思っていました。

 天下茶屋ほうとうは、今まで食べたことがあるほうとうの中でいちばんおいしかった。

 富士山が空に浮かんでいるようで神々しく壮大でした。

 天下茶屋から甲府行きのバス停がある三つ峠入口まで歩いて1時間10分。下り坂ですが、気が遠くなる道歩きで、足腰がガクガクになりました。それでもバスが1〜1時間半に1本で、乗り遅れるわけにはいかないのでひたすら歩き、ギリギリ間に合ってバスに乗れました。乗車時間は1時間10分。バスの中では爆睡です。そして甲府に着きました。

(参考)天下茶屋 太宰治文学記念室 http://www.tenkachaya.jp/history.html

 

 宿は、念願の和室。窓から富士山が見えて、町並みを見渡せる広い和室でした。掛け流しの温泉とふかふかのお布団、お部屋食は、この旅で外せないポイントでした。

 朝食は会場でしたがバイキングではなく、お部屋ごとにテーブルがセッティングされ、目と舌を楽しませてくれる御馳走でした。

 部屋の窓から見える富士山、朝焼けに浮かぶ富士山にただただ見惚れる、贅沢な時間を過ごせました。

 

2日目 昇仙峡

 甲府からバスで1時間。途中から雨が降り出して寒かったですが、ここまで来たらどうしてもロープウェイに乗りたかったので行ってきました。

 バスで山を登っていく間、窓から崖を見下ろすと真っ逆さまに落ちていきそうで、雨が強くなる中、頭がクラクラして生きた心地がしなかった。ジェットコースターよりスリリングなバストリップでした。

 

影絵の森美術館、昇仙峡郵便局

 影絵の森美術館で、娘が藤城清治の作品に触れ、「おばあちゃんちの鏡の絵と似てるなと思ったら、サインが同じだよ!同じ〝Fuji〟だよ!」と目を輝かせて言いました。この鏡は実家のトイレの壁に、私が子どもの頃からかかっています。娘は今まで何気なく見ていたけれど、ここで意識して見られて、たくさん作品を観られて良かったね!

 娘が藤城の絵はがきを買いたいというので、3枚チョイスしてもらい買いました。その1枚を、郵便局の近くの食堂でランチしながら、娘がおばあちゃんち宛に書いて出しました。消印が「昇仙峡」なんてなかなかすごい。昇仙峡に郵便局があるのが素敵だなと思いました。

 郵便局員の方はとても親切できめ細やかに対応してくださり、ここで出せて良かったと思いました。

(参考)昇仙峡 影絵の森美術館 https://www.kageenomori.jp/

 

昇仙峡ロープウェイ

 完全貸し切り状態でした。上にも誰もいませんでした。森が幾重にも重なる深い緑を観るのが今回の旅の目的だったので、雨で寒くても往復行って帰ってこられて大満足です。上で焼き団子を娘と1本ずつ食べました。

 

3日目 山梨県立美術館

 ミレーの絵を、こんなにちゃんとたくさん観たのは初めてでした。ミレーの生涯、作品の系譜は見応えがありました。

 そのほか、企画展などすべて観て回って、文学館は時間がなくて観られなかったので次回にお預けです。

 

(参考)山梨県立美術館 https://www.art-museum.pref.yamanashi.jp/
(参考)ミレーと出逢う美術館|山梨県 https://www.pref.yamanashi.jp/miryoku/rekishi/millet/index.html
(参考)クールベと海~フランス近代 自然へのまなざし~|公益社団法人やまなし観光推進機構 2020.9.11-11.3 https://www.yamanashi-kankou.jp/kankou/topics/2020_ypma_exhibition_sep.html

 

まるごとやまなし館

 甲府駅南口から平和通りを南へ進み、紅梅北通りの交差点の角、山梨県防災新館1階、やまなしプラザの中にあります。特産品が所狭しと並んでいて、山梨ならではを味わえる場所です。カフェもありましたが、時間がなくお土産だけ買って次回にお預け。

(参考)オープンカフェ まるごとやまなし館|甲府市観光協会 https://kofu-tourism.com/gourmet/122

 

 今回は、感染防止に留意しながらの旅でしたが、思い切って行って良かったです。旅先で迎えてくださる方々の迷惑にならないようにしたかったので、とにかく気をつけました。

 きっと、また来ます。この旅で、山梨が大好きになりました。

バグダッド・カフェ

(原題:Out of Rosenheim、英題:Bagdad Café)

 

 1987年11月西ドイツ公開、1989年3月日本公開の西ドイツ映画。私は日本公開まもなく、渋谷のシネマライズに観に行っていました。当時通っていた英会話学校で、アイルランド人の講師が絶賛するのを聞いて観たくなったのがきっかけです。天安門事件ベルリンの壁崩壊の直前でした。

 シネマライズは暗い階段を下りながら地下に潜っていくような面白い構造の内装で、観客は「ここは日本か?」と思うほど外国人が圧倒的に多かったのが印象に残っています。

 観終わって感動のあまりサントラを買うも、名残惜しくて映画館から出られず、そのまま最終の上映まで3回か4回か続けて観てしまいました。当時は入替制ではなかったので、一度入ったら何度でも観られたのです。

 その『バグダッド・カフェ』を、今回DVDで娘と観ました。

 

 娘と映画館に行っても、観るのは今までアニメや邦画、吹き替えのディズニーだったりして、邦画と一括りに言ってもストーリーや視点はそれぞれではあるけれど、受け手の印象としてのスケールがこじんまりと収まりがちなのが気になっていました。

 娘が高校生になり、世界は自分の知識以上に広いのだと想像力を駆り立ててほしくて、その取っ掛かりとして観せたい映画は何か?と頭をひねった末に、幾度となく脳裏に浮かんでくる洋画作品が『バグダッド・カフェ』でした。

 

 私自身は今までビデオやDVDでも観ていますが、それでも最後に観てから10年以上は経っています。細かいところで忘れている場面も多々ありましたが、いやー、やっぱり良きですね。すべてが良きです。ところどころ良きです。感極まります。

 そして娘は、そこに何を見つけてくれたでしょうか。これからも、何度でも観てほしい作品です。

文理選択と歴史科目の位置づけ

 娘は高校生になって、大学受験が一気に目前に迫ってきたような空気感の中にいます。というのは、高2からの文理選択に向けて、高1にはすでに複数回にわたって進路調査を重ねていくというプロセスを、今の今たどっているためだと思われます。

 中高一貫校と高校受験から進学する高校で一概に比較はできませんが、私自身は受験して公立高校に進学し、高1の頃は受験が終わった余韻の中で、大学受験はまだ遠く現実味がなかったです。高2の夏休みで部活は引退、文理選択は高3からでしたので、高2まではまだ自分の進路を自由に考える余地がありました。

 それでも、芸術科目は1年次から音楽、美術、書道のいずれか1科目を選ばなければならなかったのは、いかにも合格実績を視野に入れて勉強させる進学校という感じで疑問でした。これは娘の学校も同様ですが。

 

 一方で娘の学校では、部活の引退は高3の公式試合を終えたタイミングになります。部活をギリギリまでやりながら、同時に高2から文理に分かれ、効率的に勉強する。高3まで勉強と部活の両立で集中力と精神力を磨き、部活を引退して受験勉強に専念する期間は短期集中で、学力を最大限に伸ばす。その理論を毎年検証しているようです。

 ところで、高2から文系で数Ⅲが必須ではないのは不思議ではないですが(自分が文系だからか)、理系で世界史と日本史いずれも必須ではなくなるのは驚きました。理系に進む生徒の教養は、本人の資質頼みということでしょうか。

 ちなみに、ある海外の大学を日本の高校生が受験する場合、共通テスト(センター試験)の国語、英語、数学、理科の成績が求められるのですが、ここに社会科がないのも驚きで、社会科というのは国によって教育が変わり万国共通ではないからなのか、あるいは社会科はテストで評価する科目ではないということなのか、など興味深くいろいろ考えさせられます。

 それでも、だからこそ大事なんだろうとも思われ、なぜなら自分自身のアイデンティティがどう培われたかを将来にわたって公平に知るためには、高校の社会科の勉強は基礎であり、外せないと思うのです。

 

 中等教育課程では、言うまでもないのかもしれませんが、受験に使うか使わないかで科目を選択する範囲を広げ過ぎない方がいいのではないかと思います。人間的な幅を広げることが教育なのだし、大学生になってから、社会人になってからの長い人生を展望したときに、学生時代は目先の作業や処理に成り下がらない勉強をしてほしい。

 大学に行ってから専門科目を存分に学ぶためにも、高校までは将来使うか使わないかわからない勉強に四苦八苦することに意味があるのではないかと思うのです。