君と歩いた道

2017年に公立中高一貫校に入学した娘は、2023年に大学生になりました。

母になる

娘は、新緑が眩しい5月に産声を上げました。

10年以上生活を共にしてきたパートナーの様子が、ちょっとおかしいなと感じ始めていた夏の終わりに、娘の命がおなかに宿っていることを知りました。

もしかしたら、1人で産むことになるかもしれない。堕胎という選択肢が脳裏をかすめると、堪え切れず身を切られる思い。一度流産していて、すでに高齢出産になる年代。次はないかもしれない。考えに考えて、出産を決断し、母になる初心を反芻した10ヶ月でした。

検診では、胎児のエコー写真を何枚かいただけます。医師は写真をたくさんくれました。

エコー写真で見る娘が成長していく過程は、地球上に初めて生命が誕生してから現在に至るまでの、生き物の進化の過程を超速で目の当たりにしているみたい。生命の神秘そのもので、感動の連続でした。

悪阻はひどく、やっと安定期に入ったと思ったら切迫早産。医師からすれば、どーってことないくらいによくあること。大丈夫、大丈夫と笑って軽く流され、ウテメリン漬けのマタニティライフが始まります。切迫と仕事の両立は、産休に入るまで続きました。

当時の雇用形態は契約社員でしたが、産休は取れたので、産休まで時々有休を取りながら、まだだよ、まだ出てきたら早いよと、おなかをなだめすかしながら過ごす日々。

臨月を2週間後に控え、子宮口が半分まで開いていると言われ慌てて入院。

臨月間近になり、もう出てきちゃっても大丈夫かなと退院させてもらうと、それまで今にも出てきそうだったおなかの張りが、ひっそりと息をひそめるように。

産休に入ってからは、お天気のいい日は散歩したり、娘の名前を考えたり(男女の別は医師が言いたくてウズウズしているのを断固食い止めて出産まで聞きませんでした)、1人で産む不安は尽きないけれど、それ以上に娘が生まれてくることの幸せを実感する毎日でした。

出産予定日の2週間前に破水。

そしたら今度は陣痛がつかない。半日待っても陣痛はつかず、促進剤を打ちました。

それから約2時間後、娘は生まれました。

促進剤の痛みは、脳天が壊れてしまいそうなほどでした。

それでも何とか無事に生まれてきてくれた。私のおなかの上に乗せられて、初乳を吸いながら私の目をじっと見つめる娘の瞳を見つめていたら、涙が静かにこぼれました。