君と歩いた道

シングルマザーもものブログです。公立の中高一貫校に通う娘がいます。

個人的に考えること

 「個人的には」と前置きして、自分の考えを述べる声が最近よく聞かれるのですよね。あまりにも頻繁に耳にするので、私の中ですっかり流行語になってしまい、思い切った考えを何としても相手に伝えたいときに、私も「個人的には」と言ってみることが増えました。

 よく考えると全く個人的なことではないのですが、なぜ「個人的には」と前置きするのでしょうか。

 

 新型コロナの感染拡大に対する国内外の動きを注視していく中で、もっと早く動いていればとか、もっと早く決断していればという対応が目立ち、事態が良い方向に転換する気配が感じられない。2か月前に言われていたことが、未だに具体的に実践される段階に至らない。遅いどころではない。安倍さんが検査数の目標2万と言ったのは、緊急事態宣言の前日でした。あれから3週間が経ちます。

 国の動きが緩慢すぎて、各自治体や民間が自らできることを始めています。それ自体はありがたいことだと思いますが、国にリーダーシップを求められないなら、国の役割って何なんでしょう。

 提案しても提案しても聞く耳を持たない。そんな国に痺れを切らす人々の心理が、「個人的には」という前置きの多用に苛立ちとして現れてくるのではないかと思いました。

 

 事業者の営業自粛のあり方や限界、収入の補償、子どもの学校の休校延長など、感染拡大防止のためにどうするのが賢明な判断なのか。それもこれも、徹底した外出制限とともに検査数をドカンと増やして陽性者を隔離すれば、あらゆることが芋づる式に良い方向に動き始めるのではないか。

 しかし現実には、検査も治療も受けられず亡くなってから感染が判明する人が出てきている。一部の人の気の毒なケースではなく、異常なことだと誰もが気づいているはずです。この状況で、少なくとも我が家の生活圏で学校再開はまだ無理でしょう。

 誰かが決めた方針の言いなりになって被害を被りたくありません。あとから損害賠償請求するような事態になっても、命は失ったら戻らない。そんな理不尽を少しでも減らすために、外出しないことと正しい手洗いをひとりひとりが主体的に実行しましょう。と「個人的には」考える日々であります。