君と歩いた道

シングルマザーもものブログです。公立の中高一貫校に通う娘がいます。

志望大学を選ぶ

 学校の三者面談では、娘は先生から留年宣告を受けるのではないかと警戒しての参加でしたが、実際は文理選択の意向の確認や、進路について校内ではこの成績の卒業生がこの大学への合格実績を出しているという先生の話がメインでした。

 一方で、私からは、勉強に対する娘自身の悩みについて話しました。それに対して返してくださる先生の話は、ちょっとピントがずれていて、というか、先生のいう「生徒」には、娘は該当していないのだなと感じられたので、平行線の話になるのを避けるべく、先生の中高生時代の経験話を引き出すように方向転換。娘には参考になったかもしれません。

 会話におけるこのような平行線の積み重ねが、娘が自信を失くしていく原因の一端でもありそうなので、せめてこの面談ではそこに着目しないようにして会話を進めました。

 成績や偏差値が「生徒」の顔であり名前のように話されるとしたら、聴く側も一般論で聴き話さないとです。娘はそれを感覚的に知っているから、先生を頼ったり助言を求めたりすることがないのかもしれません。

 

 学校で娘が資料請求した大学から、資料がどっさり届きました。なぜこの大学?と思うような大学が少なくなく、届いたときは焦りましたが、その時点では特にそのことを娘に尋ねることはしませんでした。

 三者面談で娘が話した進路は、まだ漠然としていますが、それに沿った方向で、私もいくつかの大学に資料請求を出しました。

 娘が請求した資料と、私が請求した資料が出そろったところで、娘に資料請求の基準を聞いたところ、あっさり「無料だから」と。え・・・と言葉に詰まりつつ、「まあ、世の中にはどんな大学があるのか、まずは知ることに意義があるね」とまとめ。

 一通り目を通し、「学校案内の作り方一つとっても、大学によっていろいろだね」と話しながら、最終的にピックアップした大学は、娘が請求したA大学(私も請求)、私が請求した国公立とB大学。特に、娘はB大学の学校案内がいちばん気に入り、A大学は部活OBの某先輩が進学しているので親近感を持ったようです。

 大学で何を学びたいのか。同じ学問でも、大学によって、学部学科、専攻によって「売り」が違う。自分が学びたいものが、大学の「売り」であるかどうか。自分が魅力と感じる大学のポイントはどこか。時流に飲まれずに見極めたいところです。

 この視点をもとに考えても、今回はB大学とA大学が残ったので、オープンキャンパスや学校説明会への参加を申し込みました。

 

 今年の夏は、WEBでオープンキャンパスを実施する大学が多いだろうと思いますが、上でピックアップした大学も実施していました。

 まず、B大学のZoom個別相談。娘が大学の先生と話しました。私は画面に入らないところで聴いていたのですが、話してくださったのは女の先生で、話題の展開のされ方からも優秀な先生のようでした。娘も高1なりに質問事項をまとめ、先生の豊かな話を聞き出しているのは親ながら感心しました。

 動画視聴のオンライン学校説明会は、これから参加します。今年の夏休みは短いですが、選択肢を増やせるように、引き続きリサーチします。

近所の焼肉

 今年の夏休みは、帰省は断念しました。無理かな・・とずいぶん前からうっすら思っていましたが、白黒つけるのをためらって、実家に電話したりするのも先延ばしにしていました。ここに来て、先日思い切って電話して義妹と話し、はっきり言わずとも暗黙の了解みたいなオチです。

 実家から、暑中見舞いの荷物が届きました。ゼリーとジュース。来られないから送ってくれたのです。ありがとうです。

 実家に帰れないとなれば、私の夏季休暇は娘に合わせて、娘の学校の夏季講習が入っていない週に入れました。何ができるってわけでもないですが、一緒にダラダラしようと思います。

 

 帰省や旅行ができない代わりに近場で何か夏らしいことができないか、というのも考えました。ホテルステイとか、遊園地とか、近場の自然とか、いろいろです。迷いに迷って、ええい!と思い切って予約したり申込したりして、娘に「どうする?」と言うと、娘は「やめとこ」と言うので、「だね・・」と思い即日キャンセルするのです。結構キャンセルしました。

 行くのはいいのですが、その前後の感染防止が悩ましいのです。公共交通機関を利用して行くとなると、常に緊張感との背中合わせ。食事やお茶など、出先で入りたくなりますしね。トイレにも入らないわけにはいきませんしね。

 とどのつまりは、気を遣いながら無理して楽しむのも、そこまでしてすることでもないかもね、と思われ、そもそもお金が有り余っている我が家ではありませんから、ここぞというときに散財したいような気にもなり、今はそのときじゃないというオチ。

 

 というわけで、今日の今日、近所の焼肉屋さんに行ってきました。超久しぶりの焼肉屋さんです。予約しないで行くといつも入れないので、しっかり予約して。ケチケチしないで注文して、苦しいほど食べて大盤振る舞い。おいしかったし、何だか気が晴れた。日頃の不安や我慢を吹き飛ばしてきました。

 こんな夏もありかなと思います。娘の満たされた顔を見られて、私も満たされました。

赤点がなくて良かったのか?

 定期考査が一通り終わった日の夜、娘は最悪の手応えにひどく落ち込んでおいおい泣きました。その落ち込みようは、入学者選抜の適性検査が終わって合格者発表が出るまでの落ち込みに匹敵すると言っても過言ではないかも。「もうダメだ!留年だ!」と叫びながら泣きじゃくるのです。

 そして近々、担任との面談が迫っており二者か三者かを選べるのですが、娘「ママ来て〜!先生と一対一で話せる自信がない〜!」などと助けを求めてきました。私はもともと三者面談のつもりでしたが「行くよー!」と応えました。

 とにかく娘は、担任から何か(留年)を宣告されるのではないかとビクビクしているのです。一人でそれを受け止めるのは無理だと。高1が始まったばかりのこの時期に、ちょっと的外れな心配のようにも見えますが、娘としては本気なのです。

 私「まだ7月なんだから、これから上げ上げでいけばいいんじゃないのー?」と言うと、「勉強(すること)ができないんだ〜〜ああああ」と泣き叫ぶのです。

 

 いっぺんに全部をやろうとして、実際それをやり遂げることができたとしても、そこで気が抜けて終わっちゃったら勉強の場合はダメなんだよね。1日1時間でも、やることを決めて、毎日続けることが大事。雨の日も風の日も、続けることが大事なの。少ししかできなくても毎日やること。そうして続けていくことができたら、ある日突然気がつくことがあるよ。これだ!って腑に落ちることがきっとあるよ。それまでは、信じて毎日続けること。

 落ち込む娘に、考えに考えて発した言葉がそれで(母の語彙力)、当たり前のことしか言えないもどかしさにため息が出ます。

 

 ところが、テストが続々と返ってきてみると、結果は娘が思っていたより悪くなかったようで、悪い教科は悪いのですが、恐れていたほど全部は悪くなかった(いや、悪くないわけではないのです・・)。

 これは娘の場合ありがちな展開で、最悪じゃないと安心してしまうのです。娘の落ち込みはいつの間にかどこかへ吹っ飛んでいました。首がつながった喜びで、テスト返却時の裏話をあれこれ話してくれます。しかも、前回の考査で設定した褒美制度のお小遣いをせっせと計算し始めました。

 前回の褒美制度は科目ごとに、

平均以上 ⭐︎
8割以上 ⭐︎⭐︎
9割以上 ⭐︎⭐︎⭐︎

 としていました。今回の結果に当てはめて数えると、⭐︎は10個になりました。⭐︎1個は300円なので、締めて3,000円のお小遣いです。

 

 しかし、娘は今や高校生です。高校生として、⭐︎が10個で3,000円儲け!と喜んでいていいのだろうか・・「もう褒美制度は卒業しないか?」と提案するも、「やーだもん!」とか。この手法は、うちの娘には失敗だったかな。

 あんなに泣くほど落ち込んだこと、忘れないで次につなげてほしいのですが、その点は何度繰り返しても学ばないのか。学ぼうよ。やっつけ勉強で落ち込むのは、これきりにしよう!!!!!!

 ちなみに平均未満は、10科目のうち4科目でした。

呼びかけ

 連休に入る前の授業で、ある教科の先生がおっしゃったそうです。「この連休は、出かけちゃダメですよ!」この先生は、日頃からご自身の考えを本音で生徒たちに語りかけてくださっている様子が、娘の話から伝わってきます。コミュニケーションを諦めていないというのでしょうか。だから、娘たち生徒に慕われ信頼されているのは頷けるのです。

 一方で、学校からは、こうした呼びかけはまったくありません。お手紙もありません。分散登校が終了するときにプリントが配布されましたが、それっきりです。その後、通常登校になり、教室は密になり、部活も再開され、ほぼ同時に市中の感染状況は拡大していくのですが、何の呼びかけもありません。校長にリーダーシップがないということでしょうか。

 そして生徒たちの多くは、連休に遊ぼうと誘い誘われ、実際に遊びに行き、それをインスタに上げるのだそうです。

 こういう状況を作り出している学校は、学校から感染者が出てもしょうがないと考えているのでしょうか。国は自治体に丸投げ、文科省は教委に丸投げ、教委は学校に丸投げ、学校は生徒に丸投げです。自由とか人権が感染防止の足かせになっているかのように言われますが、実は自由とか人権という概念を責任回避のために利用しているだけではないですか。

 

 娘は学校には登校していますが、部活動は休んでいます。理由は、感染拡大防止。通常登校開始と同時の部活動再開は早いと判断しました。少なくとも通常登校を始めて2週間は慎重に経過を観て、そのうえで部活動再開に踏み切ってほしかったですが、学校の方針はそうではなかった。

 通常登校開始の時点で、すでに市中の感染再拡大の兆候は見られ、それだけでも心配な状況でした。その後、2週間以内に日別の感染者数が2倍、3倍と増えていくわけですから、教委のスケジュールに沿って部活動を再開していなければ再開のタイミングを逃していたでしょう。実際、その後に各地で感染者数の最多を日々更新し、学校クラスターや部活動クラスターが出始めていますが、活動を中止する様子はありません。

 そもそも感染防止を徹底しながら学校生活を送ること自体、完全無欠にはいかないだろうと思います。もし、宣言解除後に市中感染の拡大を食い止められていたら、夏休み明けには慎重に部活動再開という流れを想像していましたが、宣言解除すれば感染が拡大するとなれば、秋以降の拡大はさらに大きくなることが懸念され、話の向きは変わります。

 部活動は、まさか部内から感染者が出るまで活動を続けるつもりなのでしょうか。それとも、ウィルスが終息するまで個人の予防だけで感染者を出さないで行けると考えているのでしょうか。

 

 ウィルスの流行そのものはもちろん不安ですが、不測の事態に人間がどう判断し行動するか、そのありようの方がよほどホラーです。人間が完璧ではないことを踏まえないのは無責任です。当たり前の恐怖や心配を見て見ぬふりしたり、建前ではあたかも寄り添うような相槌を打ちながら、組織的には何もしないし言わないしで横並び。自分ごととして考えないし行動しない。

 これを日本人の国民性という人もいますが、それは実は自分自身が何もしないことの言い訳なんですよね。国民性なんて自己暗示以外の何物でもなく、あってないようなものなんですから。

 連休明け、感染者数がどこまで最多を更新するのかわかりませんが、自分の身近な人が重症化したり亡くなったりしないとわからないとしたら、あまりにも残念ではありませんか。

 ウィルスの流行に対しては、大人も子ども(高校生や大学生も含む)も同じように当事者意識を持つことが必要ではないかと思うのです。大人は子どもを最大限にサポートして、感染拡大防止の意義を子どもにわかる言葉で伝える。子どもは大人の姿を見て育つので、子どもが当事者意識を持つためには、大人のあり方が問われるということを、この際しっかり意識して。

 子どもにしっかりと呼びかけることなく、かわいそうと憐んでいるだけでは、子どもの未来がかえって行き詰まってしまうと思うのです。

ながら勉強で定期考査と向き合う

 音楽を聴きながら勉強ってどーなの?って思うところは大いにあります。最近の娘のながら音楽は、ケツメイシの『ケツノポリス4』です。聴きながら歌いながら勉強しているのか、勉強しながら歌っているのか。もはや音楽と勉強が一体化しています。

 2005年6月発売のアルバム『ケツノポリス4』は、『さくら』が流行っていた当時に私がCDを買いました。ケツメイシの予備知識なくアルバムの冒頭から聴いていたら、収録曲どの曲も良くて、初心者にアルバム全体を気に入らせるケツメイシすごいなーと思ったものです。

 そうしていつしかどこかに収納されたCDを、娘がどこからともなく発掘してきて聴くようになったのです。中学に入ってからかな。聴きながら歌いながら本当に楽しそうでノリノリです。それで勉強に向かう気分が上がるなら、必ずしも悪いことではないのかも、と思われるような、そうでもないような・・

 

 今回の定期考査は、高校生になり初めての考査です。休校期間や分散登校期間にどう過ごしたかが問われる分かれ道なのかもな・・という声がうっかり脳裏をよぎりますが、一方で、それを言っちゃあおしまいよ、という声もよぎります。

 間に合わないとか、終わらないとか、言ってもしょうがない。いやいや、不安や心配を口にするのはいいのだ。ただ、目の前のことを一つ一つ取り組んでいくしか、道はなきなのだよ・・という考えに至ります。

 

 娘は見たところ私の前では、存在が明るいというか、毎日元気に学校に行って、無事に帰ってきて、面白いこと言ったりしたりして笑っています。かといって、コロナ禍や災害の厳しい現状を発信する報道から目を逸らすわけでもなく、娘なりの考えを口にするし、たくさん話もしています。

 私からしたら、それだけでもありがたいこと。とにかく元気で、健康で、ついでに勉強してくれれば御の字といったところでしょうか。健康であることが、今最大の望みなのです。

 学校に行かせること自体どうなの?という状況の中、行かせていますから。無症状感染者ではないと言い切れる根拠もありません。学校でせっかく導入したオンライン授業は、いつの間にか閑古鳥が鳴いています。